藁人形に五寸釘打ちこみながら河野多恵子と、奥本大三郎を含めて鼎談をしていた車谷長吉だが、それは車谷の座談集『反時代的毒虫』(平凡社新書)に入っている。金銭が話題なのだが、そこで河野が谷崎について、「あの人は派手だったようだけれども、カード破産はしないタイプ。金銭感覚はまとも」と発言しているのだが、岡本の邸宅でのあまりの浪費のため、25万円だかの借金を作って、邸宅を抵当に入れて新妻の丁未子と高野山へ籠ったというのは、この当時(1995年)にはまだ知られていなかったんだっけ。いずれにせよ、この発言は現在の研究水準でいえば間違いです。
ところで車谷はその後、編集者に借金をしていて返したいのだが、原稿で返してくれと言われているなどと言っていて、『顰蹙文学カフェ』でも、大阪で料理人の下働きをしている時にも、坂本忠雄とか前田速夫とか四人の人が、小説に戻れと言いに来たと言っていて、嘘かホントかだんだん分からなくなってくる。
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近ごろ新聞のコラムで、私小説に関するものが多いのは賢太効果でよろしいことであるが、新聞記者の性というか、「私小説の復権」ということを言い、それに社会的要因からの説明をしようとするものが多い。しかし復権というには、依然として迫害を受けているわけだし、たとえばノーマン・マクリーンの小説などというのも私小説であって、いかなる時でも私小説は純文学の王道なのであり、こういうことを書く新聞記者というのが、私小説でない純文学として何を思い浮かべているのか、といえばたぶん夏目漱石なのだが、まあそれはいい。
で、最後にたいてい、ブログなどというのも一種の私小説では、などととってつけたように書いてある。ところが、ブログなどで面白いことを書いている者がいて、文章もうまいので、私小説を書いてみろよと私が唆しても、書けないのである。第一に、実名ないしは、正体が明らかになる形では書けない、という者がいる。私小説を書く覚悟というのは、それをさらけ出すという意味もあるので、それではいけないのだが、それ以前に、小説の形にならないのである。書けたけれども、発表の場がない、というレベルに達さないのである。あれは、何なのであろうか。
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11月に埼玉文学館で高校教師たちを対象に講演をしたのだが、その原稿が送られてきて、添付された工業高校教諭の手紙に、「今度「もてない男」を読んでみようと思っています」とあって、この時期にそんなことを言われると萎える。
(小谷野敦)