澁谷知美の分厚い博士論文に「男は自分の性的体験を語らない。例外的にホモソーシャルな場では饒舌に語る」(大意)とあったのだが、とても一般的事実とは思えないのである。「童貞放浪記」みたいな私小説にはそんなのいくらもあるが、それは「語る」には入らないのか。それに私の知る限り、女に向かって性的体験を語るという事例も私はけっこう知っているし、だいたい上野千鶴子ゼミにはそういう男がけっこういたはずである。学術性を気にしているわりに、何の裏付けもなく、逆に反証は簡単にできることを書いてしまうのはどうなんであろうか。
 単に、澁谷が、そういうことを男から語られない人間だということではないのかなあ。第一、フェミニストが相手だと、怖くて語れないということも多いわけだし。 

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 朝日新聞の投書欄に、「風立ちぬ」の試写を観て感動したってのがあったが、こりゃ立派なステマじゃないか、朝日よ。宮崎駿は朝日にとって何なのだ。
 『本の雑誌』を立ち読みしたら、坪内祐三が、佐野眞一の盗作疑惑についてはささやかれていたと書いたのに、荒井香織という人が、文壇バーででも聞いたのかと書いたのに反論して、『噂の真相』の一行情報に書いてあったとしている。私はわりあいあそこはよく読んでいたが、記憶にないのは、盗作疑惑は多いからである。
 『最後の版元』という、明治期に浮世絵を出そうとした茨城県の渡辺庄兵衛という人を描いた本を立ち読みして、最後の年譜を見たら「紫綬褒章受賞」とあったので、「ありゃ」と声を出してしまった。「受章」である。

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幸田露伴には新聞連載小説などもあるが、『いさなとり』『天うつ浪』などは、馬琴式の、しかも大して面白くない通俗小説で、『露団々』も何が面白いんだか分からないし、『風流微塵蔵』は、読んだかどうか忘れているけれど、これも似たようなものだろう。
 「五重塔」は、音読するとすばらしいと佐伯さんが言っていたからそうなのかしれないが、筋としては別に興味をひかない。「風流仏」も別に面白くはない。「運命」も、原典を訓読しただけだと言われているし、特段の傑作とも思わない。
 「幻談」「観画談」『連環記』あたりは確かに面白いので、これらを岩波文庫に入れた川村二郎の見識は立派だと思う。(もっとも川村自身は『銀河と地獄』がいいくらいで、晩年はおかしくなったとしか思えず、読売文学賞をとった『アレゴリーの織物』なんか、功労賞で受賞したとしか思えなかった)。
 あと史伝もあるのだが、とにかく前半期についていうと、露伴が読まれなくなったのはまったくもってどうしようもなく当然で、あれなら紅葉や天外のほうがよほど面白いのである。