源氏鶏太の『見事な娘』講談社文庫の年譜を見ていたら、1945年1月、長男継根が生まれるとあり、本姓は田中だから田中継根で、東大比較の先輩であることに気づいた。
田中継根(1945年1月−2009年11月)
源氏鶏太長男として大阪市東淀川区に生まれる。麻布高校卒、東大教養学部ロシア科卒。69年上田多美子と結婚、70年東大大学院比較文学比較文化修士課程入学、73年修了、東大文学部助手、74年東北大学教養部講師、79年助教授、93年東北大学言語文化部助教授、98年教授、2001年同国際文化研究科教授、2008年定年、名誉教授。
http://azabu-jh.ed.jp/sotugyosei/1963nensotsu/19631sotsu-2011.htm
ここを見て、麻布高校卒と分かった。70年に比較入学は名簿で分かるが、高校卒業から7年もたっているので、卒業後いったん就職して結婚したと推定した。また露文科創設は73年10月なので、この時助手になったのだろう。ロシヤ文学というより、日露関係を研究したようで、レザノフが連れ帰った若宮丸を研究していたらしい。
私は2002年に源氏の『御身』を論じて『比較文学研究』にも論文を載せたのだが、田中氏が気づいていたかどうか。