與那覇潤『中国化する日本』は、版元から送られてきたのだが、読み始めて、とてもまともに読めない書き方がしてあったので、中途で捨てた。で、前からアマゾンレビューや『読書人』か『出版ニュース』で批判していたのだが、與那覇は東大の比較日本文化論という、私が出た比較文学の下に作られた分科から、地域文化の大学院を出て博士号をとり、愛知県立大学に就職、それまで二冊の著作があり、これは学術的なものだったが、一発奇抜なものを書いて当てようというので書いたとしか思われなかった。
 まあしかし、野心があるのは悪いことではない。そしてどうも計画は図に当たったらしく、與那覇論壇誌などで盛んに対談露出をしている。
 で私はちょくちょく批判していたのだが、昨日ツイッターで與那覇と遭遇してやりあった。その際、あれを読めこれを読めと言われたのだが、與那覇は、シナ宋代に「近代」が成立していたと言う。そして、それが学界の大きな潮流であって、一般の人が知らないだけだと言う。だが、聞いてみたら、単に東アジア近世史(16-19世紀)について見直しが盛んだというだけで、「近代」と呼ばれているわけではないらしい。一人だけ、宮嶋博史・元東大東文研教授・前韓国成均館大学教授が書いているというので、それを読んでみた。『岩波講座 東アジア近現代通史 1 東アジア世界の近代』に載っている「儒教的近代としての東アジア『近世』」という。
 この一冊は、巻頭の川島真から始まって、19世紀以降の近代を論じる論文ばかりで、宮嶋は、「近世」について書いてくれと言われたという。だが宮嶋は、朱熹の思想に、西欧近代とは違う「近代」が現れているのではないかとして、木下鉄矢(思想史)の研究を参照しながらこれを論じる。おおむねは近代的家父長制の成立のことを言っているとみられる。また岸本美緒・元東大教授・現お茶大教授の名を與那覇もあげていたが、ここでは、岸本は16-19世紀を「近世」としており、ただし「近世」と呼ぶかどうかはさして重要な問題ではないと言っているという。
 時代区分については私も、井上章一さんの『日本に古代はあったのか』以来、何度か書いているが、古代・中世・近世・近代といった区分は便宜的なもので、そこに科学的な根拠はないし、「中世の本質」などというものはない。さらに、宮嶋の次のような文章には、積極的に批判的である。

 およそ歴史という知的営みは、現在を過去からの時間ののっぺらぼうな流れの中でとらえるのでなく、現在が過去のある時点で生まれたと認識することによってはじめて成り立ちうるものである。そうでなくて、現在を過去の単なる延長ととらえるのであれば、歴史というものが存在する必要はなくなるわけである。換言すれば、歴史研究においてもっとも重要なのは、近代と近代以前を区別することであるということになる。

 私にはこういう文章の意味が分からない。だがヘーゲル以来と言うか、このような「歴史」意識は、歴史学者の間に顕在・潜在を問わず生きている。私は単に、歴史学は過去あった事実を明らかにすればいいと思っている。それ以外は、評論である。
 たとえば私は『日本人のための世界史入門』で、西欧中世の文学や美術は、古代ギリシアに比べても、平安時代日本に比べても貧弱なものだと書いて、キリスト教美術専門の金沢百枝さんの怒りをかったが、これは私の感想であって、学問ではない。
 そもそも、学問的手続きでは、徳川家康が善か悪かとか、夏目漱石が偉いか宇野浩二が偉いかといったことは決められないのである。文学・美術については、まず同時代の批評家があれこれ言い、続いて「再評価」や価値下落があったりする。文学作品の価値を決めるのは学問ではないと宣言したのはノースロップ・フライの『批評の解剖』のまえがきである。

批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)

批評の解剖 (叢書・ウニベルシタス)

 さて宮嶋だが、そのあと「ポストモダン的状況」などと言うのだが、これも意味が分からない。ポストモダンは建築の様式であり、社会がポストモダンだなどということは言えないと、富永健一『近代化の理論』にもはっきり書いてある。
近代化の理論 (講談社学術文庫)

近代化の理論 (講談社学術文庫)

 さらに「近代を超える新たな理念と、その理念にもとづく社会を構想しうるのか否かに人類の未来はかかっているのではないか」と宮嶋は言うのだが、なぜ近代を超えなければならないのか分からない。また與那覇は、自由・平等・民主主義などは(ほかにも富永は産業化、科学技術などを挙げている)西洋的な「近代」であって、それとは違う近代があると言うのだが、ではそれはどういう近代で、そこにおける「ポストモダン」とは何なのか。
 私は呉智英さんの本で、儒教の再評価みたいなのは読んできたが、呉さんがあげた本の中に、ウィリアム・セオドア・ドバリーの『朱子学と自由の伝統』というのがあって、朱子学はほんらいリベラルだったのに、それが保守的に働いたと論じている。ドバリーは94くらいでまだ教えているそうだ。だがこの本の訳者・山口久和は、この論旨にかなり難色を示している。與那覇はこれは知らなかったのだろうか。ただし、宮嶋は、朱子学ではなく朱熹だと言っている。
 さて、家父長制の強化が、明治期に起きたということは、フェミニズムでは前から言われていて、佐伯順子などは、明治期に女性の地位は退化した、とまで言う。だが私は懐疑的で、明らかに女性解放の動きはあったわけで、それは一種の「江戸幻想」だろうと言ってきたわけだ。つまり近代は跛行的なのである。
 宮嶋は、與那覇をひいて、中国的近代を言う者まであらわれ、世界がようやく中国に追いついたと言っている、としているのだが、與那覇は私に対して、「近代」というのを肯定的に使っているわけではないと言っている。だが、それなら「追いついた」は変だし、與那覇は『文藝春秋』の中野剛志との対談でも、シナは宋代に科挙をやるなどして近代は成立していたんだと揚言しているのだから、おかしな話だ。
 私は近代主義者だが、世間でいう「再帰近代主義」らしく、近代主義の過ちは近代主義によって是正できると言っている。