さて宮嶋博史の論だが、朱熹の中に、家父長制を強化する思想があって、それが「近代」だというのを仮に認めるとして、思想は実現されなければ、その文化が「近代」になったとはいえない。ましてや宮嶋が扱っているのは朝鮮である。
 私は修士論文で、「宇治十帖」に超歴史的近代があると書いて、口頭試問の時に渡邊守章先生が苦笑しながらそこを指摘して、「私も対談なんかではこういうことを言うけどねえ」とおっしゃっていた。
 たとえば謡曲「自然居士」に、人身売買はいけないという思想がある、というのはいいとして、だから日本では室町期に近代が成立していたのだと言えるか。
 さて、宮嶋が参照した木下鉄矢の『朱熹』(岩波、2009)も見てみた。木下は、丸山眞男司馬遼太郎が、朱子学は身分制秩序を再生産するイデオロギーであり、近代によって乗り越えられるべきだとするが、(司馬については『この国のかたち』3)、木下は、丸山や司馬は、朱熹の「社倉記」を読んでいないのかと言う。
 「社倉記」というのは、まあ常平倉のことである。飢饉の時などのために糧食を蓄えておくものである。しかし、朱熹が悪い官吏を批判したからといって、それは何ら丸山や司馬の朱子学評価には影響しないだろう。第一に、木下は朱熹朱子学は違うというのだし、大きく儒学でいってみても、民を慈しむ政治をせよとか、私服を肥やす政治家への批判などいくらでもあるのであって、それをとらえて、近代であるなどと言ったら腹を抱えて鼓腹撃壌である。木下が言わんとしているようなことは、呉智英『封建主義者かく語りき』を読めば、もっと簡単にだまされうるのであって、(呉は本気で書いているわけではない)だが参考文献にはあがっていない。