二葉亭四迷こと長谷川辰之助の父は、水野家から長谷川家へ養子に来た人だ。そして辰之助は、上京して、数え17歳から18歳まで、父の実家の水野市之助のところに下宿している。四谷伝馬町一丁目四十一番と、住所まで分かっている。ところが、この市之助も養子で、父の実父は水野茂三郎ということが、『二葉亭四迷全集』に載っている家系図で分かる。なぜ男の子を養子に出して、さらにまた養子をとったのか、分からない。
『浮雲』や『平凡』を読むと、主人公は、『浮雲』では年齢や職業が違うが、やはりおじの家に寄宿して、そこの娘に恋をしたり、あれこれしている。だから、誰でもこれは水野家での経験に基づいているのだろうと思うし、私も『リアリズムの擁護』(新曜社)などでそう書いた。
ところが、ふと気になって調べてみると、この水野市之助というのがどういう人で、娘がいたのかといったことがまるで分からない。中村光夫の『二葉亭四迷伝』にも、亥能春人の『二葉亭四迷とその時代』にも、書いてない。二葉亭は、父についてあちこち動いたあと、いきなり東京外国語学校へ入学してしまうのだが、これは水野家寄宿のあとのことで、もう水野家を出ている。
調べたが分からなかったならそう書けばいいのだが、そういう記述すらないのである。これは珍妙である。先の系図も、市之助の家族については何も書いていない。頭を抱えたのは、風里谷桂(ふりたにかつら)「明治期にみる私小説―二葉亭四迷「浮雲」」(『私小説研究』2号、2001年)で、こんな題名なのに、水野家における経験ということに触れていないし、想定もしていないのである。
私はここに、中村光夫の影を感じざるを得ない。中村は、自分で私小説は書いたが、元来私小説否定論者である。だから二葉亭を、私小説作家だとしたくなかった。もしかすると、中村の当時なら、水野家のことも調べれば分かったかもしれず、それを握りつぶしたのではないかという疑惑さえわく。