どうも体罰体罰と騒がれると嫌な気分がするのは、昔の日教組系教員の公式見解を思い出すからである。私が教育実習に行った時、中学校の校長は、実習生たちを集め、誘導尋問みたいな形で、教員の体罰をまねしていじめが起こるのだと言い、さらにいじめをおこなう生徒の家庭環境は問題にしてはいけない、学校で起きたことはすべて学校の責任なのだと言ったのだが、これは原因と責任をわざと混同している。
 その後さすがに、体罰のまねによるいじめ説というのは下火になり、いじめっ子の家庭環境も問題にされるようになったが、今でもその残党というのはいて、大人の社会にもいじめはあるだろうという問いに一向に応えず、学校の制度改革を言う明大のあいつ(名前を忘れた)とかがいるのである。要するにこういう議論の根底にあるのは、子供は本来純粋で善良なものであり、大人の体罰とか、ボクシングとかレスリングをまねして悪事をするという人間観なのである。それでボクシングやレスリングは深夜にしかテレビ放送されなくなった。まあ私はボクシングなんて野蛮なものはなくしたっていいと思うが。(追記内藤朝雄であった。こいつは、私が批判した文章を読んだかと訊いたら「そんな質問に答える必要はない」と言い、私が『大航海』に書くはずだった原稿について編集部へ連絡して検閲しようとして、私がそのことを書いたら、「検閲というのは国家や警察がするもののことだ」と逆ギレした)

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その昔「朝日小学生新聞」に連載されていた漫画で、もういっぺん読みたいのがある。飯田耕一郎の「悪魔戦線」もそうなのだが、家族冒険ものがあって、気球で旅をしているのだが、毒バチの群れに襲われて、おじいちゃんの体にハチの卵が植えつけられて、おじいちゃんがハチになってしまうというのが忘れられない。