東京新聞に、西村賢太『苦役列車』の、作家・浅尾大輔による書評が載っていた。http://blog.livedoor.jp/asaodai/archives/51908064.html
その最後のほうに、記者会見に答える西村の「笑顔を見ていて、中上健次を彷彿させた」とあって、首をかしげた。「笑顔が中上健次を彷彿(と)させた」が正しいだろう。「見ていて」の主語は浅尾であるから、「彷彿」は使いづらい。「彷彿」というのは、自ずと思う、つまり「を思わせた」と同じおのずからの使役型であるから、「見ていて」と自分主語で書いたら出てこないはずである。
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たまたま、武藤康史の「三田文学の歴史」の『三田文学』2010年春季号(101号)を見たら、谷崎潤一郎の『青春物語』が、年次を一年間違えていることに触れて、あえておぼめかして書いたのか、などとしているのだが、谷崎が関東大震災で書類を焼いてしまい、改造社の円本に載せた年譜で、明治43年-44年に一年ずれが生じたことを、武藤ほどの人が知らないというのがいぶかしい。
(小谷野敦)