無意味な抗議活動

 永山則夫日本文藝家協会への入会を拒否された時、柄谷行人中上健次筒井康隆が抗議のため協会を退会した。私は当時、「抗議のため退会」ということに何の意味があるのかよく分からなかった。だって協会側としたら、うるさい奴がいなくなってせいせいするだけではないかと思ったからだ。
 もっともこの三人の場合、マスコミが大きくとりあげたから、それなりに意味はあった。しかし喉元過ぎれば熱さを忘れるで、あまり大局的に意味はないのである。
 私も、ヨコタ村上のようなセクハラ事件を起こした奴が関西支部監事なのは許せんと、日本比較文学会を退会したことがある。比較文学会には、45歳以下の会員を対象とした比較文学会賞というのがあって、2002年に平川祐弘先生が『聖母のいない国』を推薦してくれたのだが、ちょうど退会していたところで、これは申し訳ないことをした。
 しかし、自分が退会しても比較文学会は痛くも痒くもないことが分かり、2007年に復帰したのは、比較文学会賞が欲しくなったからで、『谷崎潤一郎伝』を自薦したのだが、くれなかった。もう規定年齢を超えてしまったが、居残っているのは、中にいて批判したほうがあっちも嫌だろうと思うからである。諸坂茂利とかいう人が比較文学会賞をとったが、46歳になっていたのではないかという疑念もあり、ナボコフ中島敦を、「虎」で結びつけた愚書であったからさんざんに痛罵したが、これも会員が言ったほうがあちらの嫌度が高かろう。
 阪大を辞める時は「辞めたらあっち(渡辺)の思うつぼだ」と言われたのだが、もう耐えられなかったのだからしょうがない。だが一般的に、退会して抗議などということは、あまり意味がない、ということが分かったので、その類のことはしないことにしている。
 意味のない抗議活動といえば、ハンストなどその最たるもので、仮に餓死すればマスコミが取り上げるからいいが、日本でハンストで餓死した人なんかいやしない。単に自分らが少々腹を減らしたくらいで、政府などがうろたえると思っているとしたら、そりゃずいぶん甘っちょろい話ではないか。