茂田真理子のゆくえ 

 『En-taxi』が江藤淳特集で、茂田真理子が出ていたので、おおっと思った。
もう十年以上前、茂田は慶大の修士論文『タルホ・未来派』で三島由紀夫賞候補になったのだが、選考委員の江藤淳は、自分の弟子だからといって選考会を欠席した。
 その後、全然音沙汰がないので、どうしたのかと思っていたら、渡米したまま、米国の大学の助教授になっていたのであった。

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足利市の川俣氏より、岩波文庫の鏡花『照葉狂言』『婦系図』の解説が里見とんであると教えられた。『照葉狂言』のほうは読んだのに忘れていた。『婦系図』のほうは、これが面白い。

第一流の藝術は、最も高級なる意味に於て、悉くこれストリップ・ショウである。

 さすが里見とんである。

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日本文学の英訳などというのは滅多に、というか今ではまったく読まないのだが、昔は読んだ。川端康成の、サイデンスティッカーによる『山の音』など、原文と照らし合わせて読んだら、誤訳が多いのに驚いて、誤訳一覧を作ったら、どうやらもうやった人がいたらしかった。
中で、鈴本という友人が、主役の信吾に、能面を買わないかという場面があって、「能を離れて、僕らが死蔵するのは、生命を失わせるじゃないか」というところを「僕らが死んだあとでしまわれたままになるのは」と訳している。ここは、死んだ友人の話が出てくるところで、サイデンスティッカーはそれに引きずられて、こういう誤訳をしたのだろう。

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1Q84』は杉並区図書館では52冊が所蔵されていて1300人以上が待っている。こういうのは著作権上、問題だと思うがなあ。
 内田ジュ先生は、春樹の主人公は家事をやるから、家事をやらない男どもには感情移入できないのだ、と言っている。初期の春樹批判の本格的な論文は、千石英世の「アイロンをかける青年」で、千石はごく冷静に春樹の問題点を指摘しているのだが、ジュはこういうものは読んでいないのだろうなあ。同題書所収である。