本能寺の変のあと、筒井順慶が洞ヶ峠で日和見をしたというのは誤伝で、明智光秀が洞ヶ峠に陣取って順慶に圧力を加えたのが真相である。このことは筒井康隆が、祖先ではないかと言われて、祖先ではないが書いた『筒井順慶』(1969)にも書いている。その後、筒井の『乱調文学大辞典』(1972)には、当時の『広辞苑』で筒井順慶だか洞ヶ峠だかを引くと、順慶が日和見をした、とある、として「違うと言っているのに!」とあった。今は『広辞苑』も直っているだろう。
『日本の歴代権力者』で長屋王が「自刃」したと書いたら「自尽」であって刃は用いていないと指摘された。確かに『日本霊異記』に、服毒自殺と書いてある。増刷したら直す。
「侃侃諤諤」は激しく論争すること、「喧々囂々」はやかましいさまであって、「喧喧諤諤」というのはこれをミックスした間違い。
明治期に日本に滞在したエルヴィン・ベルツの日記は、岩波文庫から「トク・ベルツ編『ベルツの日記』」として出ている。トクというのはエルヴィンの息子だが、これを見て、ベルツを「トク・ベルツ」だと勘違いするやつが時々いる。中島ギドーもその一人である。
ところで幕末もののドラマを観ていると、薩摩弁や土佐弁は実ににぎやかに出てくるが、長州弁というものがあまり出てこない。『花神』の時など、何だか中村梅之助の大村益次郎がやたら「俺」と言っているのは長州言葉だろうかと思うのだが、私の記憶では「俺はねえ、藩なんかつぶしちまおうと思ってるんだよ」と、まぎれもない江戸弁で喋っていた記憶がある。あとで確認する。なお『花神』の最初の方で村田蔵六が緒方洪庵に弟子入りするが、洪庵を演じたのは宇野重吉で、当時63歳、実際それくらいに見えたが、蔵六が弟子入りした当時の洪庵は33歳である。楠本イネが当時37歳の浅丘ルリ子なのは、無理なキャスティングではあるまいか。
さて『篤姫』であるが、原田夏希がかわいい。それはそうと、相変わらず坂本龍馬である。坂本龍馬はものすごく有名だが、武市半平太のことはみな忘れている。ひどいのである。土佐で勤皇党を組織して始めに運動を起こしたのは武市である。吉田松陰のような存在なのに、ひどい。司馬遼太郎が悪いのである。
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誰かのコメント欄で、博士号も持っていない人が学会賞の専攻委員長をやっている、と書いたが、八月にとっていたことが判明したので訂正する。とるとる言って14年かかった。