褒めてやれ褒めてやれ

 「盛綱陣屋」の台詞である。以下のニュース

結婚詐欺、70歳女に実刑=42歳独身と偽る−宇都宮地裁支部
 42歳独身と偽って48歳の男性と結納をかわし金をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた茨城県桜川市の農業深谷ハツエ被告(70)の判決公判が29日、宇都宮地裁真岡支部であり、飯塚圭一裁判官は懲役3年10月(求刑懲役5年)を言い渡した。
 飯塚裁判官は「結納金で嫁入り道具を購入し、同居後は農業や家事を手伝うなど農家の嫁として振る舞うなど計画的で大胆かつ巧妙な犯行」と指摘。「長く良縁に恵まれなかった被害者が厳罰を望むのも当然」とした。 

 70歳なのに42歳と偽れたというのが凄い。しかも農業や家事を手伝って年齢がばれないという、もう厳罰というより、褒めてやれと言いたいほどである。というか、巧妙って、どう巧妙なのか。それとも男がバカだったのだろうか。
 「大正生まれのAV女優」どころではない。これは是非週刊誌で詳報、特にその老婆の容姿を知りたいものである。(見た・・・)

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天皇諡号に「後」がつくのは後一条院からだが、これは誰が発明したのか、と思ったらまたしても野村朋弘氏が書いていた。
http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/sigo02-2.html
 「兼仁院」となるはずだった、などと書いている無教養の松岡正剛には少し野村氏を見習ってもらいたい。

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『月刊現代』も休刊! ざまを見ろ。ほれ、私を排除する雑誌は次々と休刊に追い込まれるのだ。『現代』に至っては宮崎哲弥も排除していたからなあ。『群像』もつぶれればいいのに。
 

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『戦後文学論争』を読んでいて、つくづく嫌になってしまった。というのは、新聞や文藝雑誌がこれだけ文学論争に紙誌面を割くなどということは、現在ではありえないからである。先日、川村湊の『文藝時評』を毎日の書評で沼野充義が褒めていて、私は沼野夫人とは知り合いだから我慢して黙っていたのだが、福田和也は、川村湊が日本の批評をダメにしたと言っていて(『en-taxi』)、それなら堂々と毎日の紙面で福田に言わせればよいのだがそんなことは絶対しないのであって、異論を締め出しておいて、毎日で15年間やっている文藝時評をまとめた本を毎日の書評欄で褒めるというのは何なのか。だいたいエジプトでムバラクが28年も政権を掌握しているのは事実上の独裁にも等しいわけで、平野謙の13年を抜いて15年間も一人にやらせるというのは独裁ではないかという判断をなぜ毎日文化部はしないのか、まったくもってわけが分からん。
 川村は楊逸芥川賞受賞第一作を絶賛していたが、私の感想は「誰か日本語に翻訳してくれ」である。
 「論争」に関しては、一事が万事である。今後も日本の新聞や総合雑誌のみならず文藝雑誌だって、「論争などさせたくない」という態度をとり続けるなら、売上げは減るばかりだろう。