御用と御急ぎでない方は

 自費出版といえど、掘り出しものがあるかもしれない。そう思って入手したのが、「×葉×子」の「彼は十二歳年下」という本であるが、宣伝文から分かるとおり著者は既に一冊、有名な出版社から本を出している。そして今回のは、暴力をふるう夫との結婚から離婚までの記録、といおうか。
 しかし読み始めて私はぎょっとした。この著者は精神を病んでいる。確かに悲惨な結婚生活だったのは分かるが、著者自身の行動やその説明があまりにおかしいのである。そして「十二歳年下の彼」というのは、夫と別れて出会い一緒になった愛人ではなくて、最初の本の担当編集者であり、なぜか彼の指令でホテルの部屋を予約した、ということになっている。が彼はホテルへは来ないのである。プラトニックであると説明されていて、それきりである。なぜホテルを予約させたのかは、分からない。
 自費出版の世界は怖いが、それにしても、こういう精神を病んだ人の手記を刊行してしまう業者に対して、私は倫理的不快感を感ぜざるを得ないのである。

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可能涼介という方から『圧縮批評宣言』が送られてきた。著者謹呈になっているが、なぜか分からず、出版社からではないかと思ったが、よくよく見たら『週刊読書人』の文藝時評をまとめたところに私の「なんとなく、リベラル」への言及があって納得がいった。
 しかし文藝時評というのははかない。

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絲山秋子が一円で訴えられている件はよく分からん。なぜ絲山が拒否するのかが分からん。もし
「童貞放浪記」の脚本が雑誌に掲載される、となったら私なら随喜するばかりである。まあそこが、芥川賞作家と、作家まがいの違いであろうか。
 私は『キャンディ・キャンディ』のファンだったから、キャンディ裁判の結果キャンディが封印されてしまったのも悲しい。これまた、まあいがらしゆみこが悪いといえば悪いのだが、名木田恵子水木杏子)は小説単独でヒットしたことはないわけで、つまり双方にとって唯一のヒット作に近かったのがキャンディだというのが悲劇の原因であって、まあいがらしは悪いけれども、一歩名木田さんが譲ってキャンディの封印を解くしかないのではないかと思うのである。やはり、いがらしの絵あってのキャンディというのは否定できないのであるから。
 仮に私の著書のどれかの海賊版の翻訳が出回ったとしたら、まあ出版社はあれこれするであろうが、私個人としては、正直言って嬉しいであろう。だって頼んでもいないのに翻訳してくれたわけだから。ま、人間にはやはり成功者とそうでない人がいるってことですかね。

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平岡敏夫先生からのお葉書で知ったのだが、東京新聞の「大波小波」の8月11日が『私小説のすすめ』をとりあげてくれていた。この本は新聞では完全黙殺かと思われていたので嬉しい。それに感動したのは最後に「黒髪の匂う女」を取り上げて批判してくれていることで、まったくこの作品名が新聞紙上に現れるとは思わなかった。あまり嬉しくて全然批判が気にならない。
 「黒髪の匂う女」は、まさに中野重治が『暗夜行路』をさして言った「自家用」の小説であって、里見とんの『安城家の兄弟』と同じ、いくら罵倒されても書かざるを得ないという態のものである。あと断わっておくが京都駅で泣いたのは、あれは事実である。ともあれ「沈黙派」氏はたいへん私に好意的である。
 (小谷野敦