水月昭道氏に問う

 今ごろになって『中央公論』4月号の水月昭道氏の文章を読んだ。先月読んでいたら読者投稿欄にでも投稿したのに・・・。
 というのは意外だったからで、最初の三分の二は『高学歴ワーキングプア』の内容紹介のようなものだが、最後のほうでよく分からないことを言い出す。私の考える解決策は、前から言っている通り、大学院の縮小・削減である。だが水月氏はそれに反対らしく、「質を確保するための大学院縮小」に反対して、それでは知の継承という問題がなおざりにされてしまうと言っているのだが、それじゃどうしろというのだ。現実に、これだけ増えてしまった大学院の修了者を大学の専任として受け入れる受け皿がないのだ。しかも「質を確保するために」と言っているのは、昭和三年の永井亨で、これは当時「大学は出たけれど」の不況時代に言われたことでしかない。現在は、「質を確保するために」じゃなくて、人文・社会系の研究者など世間が養ってくれないから、あまり多く産出してはいけない、となるはずではないか。現に水月氏自身が、教授の甘言に乗って大学院に入ってしまい、行き先のなくなった若者がいることを告発しているのに、なぜここでいきなりそうなるのか、理解できない。
 三流大学の大学院でなど、知の継承などほとんど不可能である。なかんずく人文系は、一流大学だけでいいのだ。もっとも東大でも、今は多すぎる。既に研究者の道を歩み始めてしまった者は仕方ないとして、今後同様の悲劇を繰り返さないために、三流大学の大学院はなくせ、というのでなければ、水月氏の議論は前後矛盾することになってしまう。
 昨年暮れ、珍しくテレビに出た私が、人文系の研究者が冷遇されている話をしようとしたら、原口一博という国会議員が、はじめ全然私の言うことを理解できず、「スカラーというのはもともと余暇という意味ですよ」などと言う。じゃあ学問は金持ちが余暇にやれというのか。だんだん説明したらようやく分かったのだが、つまりこの議員は、そんなことは全然考えたこともなかったのである。あの時、司会の宮崎氏はもちろん、藤原帰一とか村田晃嗣とかの大学教員は、すぐ私の言っていることを理解したのだが、国会議員たちの無関心は恐るべきものだったよ。小泉元総理だって「ノーベル賞がとれるように」などと言っていたが、もちろん理系のことしか考えていないし、行政の文化藝術支援にしても、演劇とか、日本文学の外国語訳とかにしかなされておらず、人文学研究に援助する気などまったくないのだ。要するに大学院重点化は失敗だったのだから、少なくとも人文・社会系はそれ以前に戻すべし。