飯田龍太は蛇笏の息子。俳誌「雲母」を受け継いだが1992年廃刊。
俳句の世界は、現代の文学ジャンルの中でも「世襲」制が生きている。近代俳句の創始者正岡子規は子孫を残さなかったが、跡を継いだ高浜虚子は、「ホトトギス」誌上に、娘・星野立子に宛てた「立子へ」を延々と連載した。「ホトトギス」は息子の高浜年尾に受け継がれ、さらにその娘・稲畑汀子が継いでいる。渡辺水巴の俳誌「曲水」は、妻・桂子から、娘・恭子へと受け継がれ、水原秋桜子の「馬酔木」は、息子の水原春郎が引き継いでいる。原石鼎の「鹿火屋」は原和郎に、中村汀女の「風花」は、娘の小川濤美子が継いでいる。これでは「第二藝術」と言われても仕方あるまい。むろん、俳句のそういう性格と戦っている俳人もいるわけだが。
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船曳建夫先生の新刊新書「右であれ左であれわが祖国」・・・違うかな?
まあそういう感じの本で、日本は「中庸国家」をめざせと書いてあったが、船曳先生、私の「中庸、ときどきラディカル」を「読んだ」とはっきりおっしゃっていた。
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「性病予防法」は2000年に廃止されたが、
第8条 婚姻をしようとする者は、あらかじめ、すすんで梅毒血清反応についての医師の検査を受けるとともに、相互に、性病にかかつているかどうかに関する医師の診断書を交換するようにつとめなければならない。
という規定をどれほどの人が守っていたであろうか。