依頼状

仕事の依頼のファックスなどで、最初は自分の名前が出てくるのだが、下のほうへ行くと、自分の名前のところに別人の名がある、という経験をした物書きや学者は多いだろう。最初に誰かに頼んで断られ、名前のところだけ直したのだが、二つか三つあるうち一つを直し忘れると、こういうことが起こる。激怒する人もあろうが、とにかく、気をつけてくれよと言うほかない。
さて先日、「八犬伝」関係の仕事が舞い込んだ。あまり内容がいいものとは思われなかったが、引き受けた。するとメール添付で、私のプロフィールなるものが送られてきた。ところが、四行くらいある紹介文の上の二行が、こうなっていた。

説経節浄瑠璃などの語り物文藝から、「八犬伝」も論じ、特に泉鏡花を愛好したが、幸田露伴の「幻談」などの再評価にも一役かった

あとの二行は確かに私の紹介文だったが、これは違う。これは川村二郎先生の紹介文である。なぜなら、これは私がウィキペディアに書いた文章だからである。最初は川村先生に頼んで断られたのでもあろう。もう、別に腹も立たなかったが、結局別の理由でこの仕事はなしにした。
自分が書いた他人の紹介文が、自分の紹介文として送られてくるとは実に珍奇な経験だが、あちらもまさか、私が書いたものとは思わなかっただろうと思うと、おかしい。 (小谷野敦)