http://1000ya.isis.ne.jp/1571.html
松岡は前から、古代の「朝臣」などの「姓(かばね)」と、源、菅原などの「氏=姓(せい)」の区別がついていないのだが、
「弘徽殿の女御が産んだ第一皇子に「姓」がないのは、この子が今上天皇になったからです。日本の天皇には「姓」がないのです。」
いや、皇族に生まれたら姓はないだろう。臣籍降下したら姓がつく。しかもここで「今上天皇」って言うのはどうかなあ。松岡が「今上天皇」っていったら「明仁」のことなんだが。なお正しくは「今上」だけでよろしい。
その後も、光源氏は源氏になったから天皇にはなれない、とあるが、宇多院は源氏から天皇になっている。
「あまりに源氏をふやしすぎたので、のちのち源氏の一門どうしでの争いをおこさせます。それは前九年後三年の役や保元・平治の乱の「武家のあっぱれ」の時代のことであって」
前九年・後三年の役と平治の乱は別に源氏同士の争いではないが?
「そこで登場したのが「氏の長者」(うじのちょうじゃ)という冠です。源氏は他のあらゆる氏たちのなかのリーダーだというお墨付きをもらった。」
ウソついちゃいけません。氏の長者はほかの氏にもあって、別に源氏が他の氏のリーダーだって意味じゃないし。
「現代のわれわれがカバネやショウとしての姓よりも苗字を重視するようになったのはどうしてかということですが、これは他の多くの事柄がそうであったように文明開化と近代国家のせいでした。」
はあ? 徳川時代の武士ってそんなに本姓を重視したか?
「朱雀帝や冷泉帝という歴史的に実在した帝の名をあえて虚実混合のためにまぜた理由も」
朱雀や冷泉は建物の名前であり、実在した天皇の名を出したわけではない。
「宣長が『紫文要領』(しもんようりょう)や」
普通は「しぶんようりょう」だ。
「少々オイディプスなエンジンが作動することになりました。」
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おおっ、松岡正剛、72歳の誕生日にワグナーを語る。
http://1000ya.isis.ne.jp/1600.html
「4日4晩の大作『ニーベルングの指環』」普通は序幕と三日だが。
「ピーカン(青空の晴天)」晴天は普通青空だが・・・。
「死者を逆なでする軽率な発言」やっぱり死者も聞いてるんですかね。
「ショーペンハウアーやニーチェの厭世思想」ニーチェって厭世思想だろうか・・・。まあそうともとれるが・・・。
「「背中の巨人」が押し付ける圧力以上のリプリゼンテーション」表象文化論?
「円熟の総仕上げに達しようとしていた」うーん・・・。
「作曲家としてのブーレーズは、シェーンベルクの十二音階技法にもジョン・ケージの偶然音楽にも電子音楽にもとりくんだバランサーである。」バランサーってのは他のものにバランスをとらせるもので、自分がバランスをとるものではないが。
「バッハはグラールの聖杯だ。」グラール=聖杯では? それとも誰かの翻訳?
「カミーユ・サンサンーンス」こういうのも入力した秘書が悪いんでしょうかね。
「アングローズ・ビアズレー」アンブローズ・ビアスとオーブリー・ビアズリーがごっちゃになったんですね。分かります。
「ワルプギウスの夜」最初のワルプルギスの夜? これも秘書か。政治家みたいだな。
「ファウストの劫罪」却罰?
「ベートーヴェンのファウスト”なのである。」これはちょっと分からない。ベートーヴェンとファウストに何か関係が?
「決定的だったのはそのあとにノヴァーリスの『青い花』が先行したこと」そのあとに先行したのか・・・。
「ドイツ・オペラの世界性を端緒させた。」端緒させますか。
「ルートヴィヒ・シュボーア」シュポーア。ぽ。
「ムジークドラマはドラマやドラマトゥルギーやライトモチーフが重視される音楽劇である」ん?
「ワーグナーの作品に漂うイツ民族主義や」「ド」が抜けただけです。
「モーツァルトのあとにモーツァルト一族はなく、チャイコフスキーやマーラーのあとにその音楽一族は継走しなかったのである。」子供いなかったし。
「『リエンツェ』に結実した。ぼくは『リエンツェ』を見」リエンツィ
「リストのピアノ演奏にはしこたま驚愕した。」しこたまって・・・。
「少年時代にハンガリー・オーストリア二重帝国を呑みこまされたので」オーストリア・ハンガリー帝国がリストの少年時代にあったか?
「演奏会を開くと老ベートーヴェンがこれを聴いて褒めた。」53歳で「老」にされてるし。
「やらずぶった切りだったのではない」やらずぶったくり? だがこういう不思議な表現が検索すると出てくるから不思議だ。
「父と子ほどの違いのある二人の蜜月関係は、耽美異常であって精神極上である」精神極上?
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http://1000ya.isis.ne.jp/1236.html
志賀直哉である。長い。私は志賀直哉が何しろ嫌いなので、松岡の言うことの半分は分かるのだが、それは志賀が謎なんじゃなくて、志賀崇拝者が謎なのである。私は志賀直哉が好きだと言う人に、煙草を吸わせて貰いながらとっくりとどこがいいのか訊きたいと思っている。
それに最近は別の問題も出てきた。志賀を褒める人が、志賀は文章を作っていない、感じたまま書いているとか、こしらえていないとか言うのだが、じゃあ俺と同じじゃないかと思ってしまうという問題である。
さてしかし松岡の文はやはり間違いがあって、妻の勘解由小路康子をなぜか「かでゆこうじ」としているが「かでのこうじ」である。『暗夜行路』の最初は「時任謙作」ではなく「時任信行」で、志賀全集には一冊分、「暗夜行路」第一を三回くらい書き直したものが入っている。
「万暦赤絵」が教科書に載ったというのも間違い。これは一度も教科書には載っていない。「歴史小説をほとんど書かなかった」というが、「赤西蠣太」に触れないのはなぜか。
あと、阿川弘之の『志賀直哉』を「驚くほど詳しい」としているが、そうか? それにどういうわけか、初期の里見とんとの交遊に触れていないのは変である。
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赤川次郎の父・赤川孝一は、戦後東映でアニメ映画の製作などしていたが、戦時中は満州国で甘粕正彦の側近だったという。1934年東京帝国大学文学部哲学科卒だから、1910年ころの生まれで、次郎は次男だが39歳ころの子ということになる。満洲国文教部社会教育課にいたという(多田茂治『満洲・重い鎖 牛島春子の昭和史』)
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http://1000ya.isis.ne.jp/0506.html
『暮らしの手帖』でなく『暮しの手帖』な。
そういうのを「アーカイブ」と言うのか。よく知らない外来語を使わないこと。
なお杉浦明平は「民平」でもいいようだ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1145.html
なるほど、活字になったほうではいろいろ直っているということか。確認してみよう。(図書館で『雪国』のところを見たら相変わらず間違っていた)
なお「川端芽舎」ってこれでは「がしゃ」だ。正しくは茅舎。