林連祥とシンガポール

 昔シンガポール大学にいた林連祥という教授の訃報が届いたのだが、私はこの林教授に会ったことはない。林教授は確か1992年に平川・鶴田組を招いて漱石こゝろ』の学会をシンガポールでやり、IBMの『無限大』に載った論文集を書評したのである。
 そのあと、西原大輔君がシンガポール大学へ日本語などを教えに行ったのだが、学内抗争で林教授は追放されて台湾の淡江大学へ行き、あとを支配した教授がいて、この人には会ったのだが名前が思い出せない。いずれ華僑である。
 ところが西原君がこの後釜教授と大ゲンカをして帰ってきて、それを『比較文学研究』に書いたので、鶴田先生は、こいつは頭がおかしいんじゃないかと思ったというが、実際怖い教授だったらしい。そして私はこの教授の名前が思い出せない。
 そして94年暮れにシンガポールでこの教授のもとで『暗夜行路』会議が開かれたのだが、とにかく私は『暗夜行路』が嫌いで、批判的論文を書いたのは当然ながら、その頃不安神経症が悪化していて行く途中の飛行機で発作を起こすし、あとで論文を手直しするのにえらい苦労をするし、実につらかった。
 その時、その後釜教授の自宅へ呼ばれたのだが、鶴田先生は「毒でも盛られるんじゃないか」などと言っていた。