音楽には物語がある(70)「夏は来ぬ」が名曲であるのは  「中央公論」10月号

 4月の中ごろ、朝起きたらさわやかな気候だったせいもあって、「夏は来ぬ」の歌を聴きたくなり、YouTubeで聴いたら、私が知らなかった歌詞もあり、改めてこれはいい曲だなあと思った。

 私は「五月闇」という言葉が好きで、先日から引っかかっていたのだが、これは旧暦の五月の夜、闇がひときわ濃いと感じられたことから生まれた言葉だそうだが、新暦では五月雨と同じく、6月の季語になる。大平正芳という総理大臣が急死したのは私が高校3年の時だったが、その時「五月闇」という語で終わる手向けの句を詠んだ政治家がいたはずだが、テレビで一言言っただけだったか、調べても誰のどういう句かは分からなかったが、もしかすると政敵の福田赳夫だったかもしれない。政治に詳しい人に訊いてみたら、江田三郎が死んだ時に佐々木良作が「「政治家も命はかなし五月闇」という句を詠んだというから、それをちょっと真似たのかもしれない、と思った。

 「夏は来ぬ」は全部で五番まであり、私は一、二、五番しか知らなかった。その五番が「五月闇蛍飛び交い 水鶏鳴き卯の花咲きて」となるのだが、これは実に情報量の多い歌詞で、というのはこの番は総集編になっているからだ。村尾忠廣「≪夏は来ぬ≫はなぜ傑作か」(『音楽教育学』2014)にも、四小節に普通は12モーラの音を入れるのにこの歌では倍の24モーラ(五七五七)を入れていると指摘している。

 この曲の作曲者は小山作之助で、歌詞は歌人佐佐木信綱だが、佐佐木が作詞して小山が曲をつけたのではなく、先に小山が曲を作って佐佐木が歌詞を当てはめたものらしい。だとすると、四小節に24モーラというのも、小山の曲がもともとそういう風にできていたからだと考えるほかない。

 丸谷才一の「見わたせばあをやなぎ花ざくら」(『遊び時間2』所収)にも、「夏は来ぬ」が丸ごと引用されて、名曲である所以を考察しているが、丸谷の引用では二番の歌詞が「早乙女が裳裾濡らして」になっているが、これはもとは「賤の女が」だったらしく、「賤の女」が差別用語だと見られたために差し替えられたらしい。もっとも、立川談志が前座噺の「道灌」を「ビヤホール名人会」であえて演った時、「賤の女」が差別用語だからラジオでは禁止だと思って口を濁しながら口演したところ、あとで、これは禁止用語ではないと言われた場面が録音に残っている。

 丸谷は、團伊玖磨の『好きな歌・嫌いな歌』を高く評価して、そこから引用している。「夏は来ぬ」を評して「大体が例のヨナ抜き節(五音音階)なのだが、始まってすぐの第三番目の音“うのはな”の“は”の部分に、七音音階の第四音ファが使われているために、ヨナ抜きの凡俗さを打ち消してすがすがしい印象を与えることに成功している」としてある。すると完全なヨナ抜きではないということで、実際聴いていてもヨナ抜きという感じはしない。

 歌人だから歌語が多いのはいいとして、五・七・五・七・七・五という、短歌に「夏は来ぬ」の五がつく独特の音数を持っているが、これも小山の曲が最初から指定したようなものだろう。三番の「おこたり諫むる」という歌詞は今回初めて知ったが実に意外性があっていい。

 私も近ごろはノスタルジーにとらえられて、若いころの初夏とか春の気分を思いだして、大学院生で、家に母と一緒にいた時分が思い出されて、それで「夏は来ぬ」に特段のエモさを感じたというところか。

小谷野敦