音楽には物語がある(21)さだまさしと「秋桜」 中央公論2020年10月

 さだまさしといえば、もう四十年も前だろうか、ラジオか何かから流れた「案山子」(一九七七)の「元気でいるか、町には慣れたか」という郷里の母親からの手紙形式の歌が流れるのを聴いた私の母が、「これ、いい歌ね」と言った時から、ああ、おばさんキラーなんだなと思っている。

 「関白宣言」(一九七九)は、フェミニストに批判されたというので新聞記事になったが、聴いてみたらベタベタの愛妻歌だったから、これを批判するフェミニストというもののレベルの低さに、高校生ながら驚いた。私は中学生の時から『フェミニスト』などという雑誌を購読していたが、だいたいその後もフェミニズムというのは一部を除いて程度の低いところで何か言うものであり続けている。

 「防人の詩」は、映画「二百三高地」(舛田利雄監督、一九八〇)の挿入歌としてヒットしたものだ。当時高校三年だった私は、単純な護憲左翼だったから、日露戦争礼讃みたいな映画の歌を歌うのか、と嫌悪感を覚えた。のちに、この歌詞の着想は、堺正章が歌った「みんなのうた」の「空と海の子守歌」(一九七七、別役実作詞)と同想ではないかと思うし、私は「空と海の子守歌」のほうが好きだ。

 一九七九年に放送された、倉本聡脚本の「北の国から」の主題歌もさだまさしであった。「北の国から」は二時間スペシャルが作り続けられたので、このスキャットが長く使われることになった。

 余談ながら、「北の国から」では、学校の先生の原田美枝子がUFOに乗り込むのを子供たちが目撃するという場面があり、前年公開の倉本オリジナル脚本の映画「ブルークリスマス」と思い合わせると、この当時倉本はUFOの実在を信じていたのではないかと思う。のちのスペシャルで原田が再登場した時、その話題も出してごまかしているところがある。

 この「北の国から」も、大衆受けするドラマとしてバカにする向きもあるのだが、私は大阪から帰ってきた九九年にそれまでの分を一気見して、吉岡秀隆の純の初恋の相手・横山めぐみのかわいいのに感嘆し、医師相手の不倫で妊娠してしまった中嶋朋子の蛍を救うべく正吉がたくさんの花を贈って求婚するとか、農業のやり方で他と対立した岩城滉一が事故死してしまうところとか、割と好きで観ていたものである。

 倉本の脚本がうまいのは当然だが、このシリーズは、吉岡秀隆中嶋朋子という二人の名子役を得たところが成功のカギだっただろう。

 さてしかし私がさだまさしで気になるのは、山口百恵が歌った「秋桜」(一九七七)である。明日は嫁入りするという娘と、その母を歌ったものだが、発表当時から考えても十年から三十年は前の風景に思える。だいたい、母親は四十代から五十代だろうが、六十代くらいに感じるし、「嫁入り」が永訣のように描かれており、今でも遠いところへ嫁入りするならあるだろうが、古めかしい感じは否めない。歌詞も冷静に考えると、母が縁側でアルバムを開いて、娘の幼いころの思い出を「何度も同じ言葉くりかえし」たり、嫁入り支度の手伝いをしながら感傷的になって、「元気で」と何度もくりかえす、とか、いうのが、実際に考えると情景が構成できない。だから雰囲気だけの歌詞になる。

 しかしこの歌はどういう層に受けるのだろうか。どうもこれはおばさんキラー歌ではない気がする。ここで歌われているような母娘密着型の親子だと、娘は結婚しそこねることが多いからで、そういう娘で、母の呪縛に気づかない人が、いつかあるだろう結婚を夢想しつつ、その実母親大好き気分で受容している歌なのではないだろうか。