井伏鱒二の『黒い雨』については、資料となった重松静馬の日記を引き写しただけじゃないかという疑惑がかつてあり、豊田清史という人が、井伏の「盗作」だと言ってさんざん攻撃していた。しかし2001年に『重松日記』の現物が筑摩書房から公刊されて、それまでの現物を見ずになされていた推定はすべて無になった。
この件が広く知られるようになったのは猪瀬直樹の『ピカレスク:太宰治伝』(小学館、2000)が井伏の作品に元ネタのあるものが多いことを指摘し、これがベストセラーになったからである。それで翌年『重松日記』が公刊されると、猪瀬も歓迎して、『黒い雨』は『重松日記』のリライトに近いと書いていた。
2007年の栗原裕一郎『盗作の文学史』も、この事件をとりあげているが、豊田についてもかなり批判的だったが、どういうわけか世間には神のごとく井伏を崇拝する人がいて、筑波大教授だった黒古一夫(1945- )などもその一人で、栗原が豊田清史を信じて井伏を攻撃していると思い込み、やたら栗原を攻撃し、2014年に出した『井伏鱒二と戦争』では、ほとんどヒステリックな調子で『黒い雨』が盗作だという説に反駁しつつ、栗原まで攻撃していた。
だがその間に、もともと豊田の論争相手だった相馬正一(1929-2013)が、1996年に出した『続・井伏鱒二の軌跡』の「改訂版」を2011年に出していたことはあまり世間の注意を引かなかったようである。
今井源衛の『紫式部』(人物叢書、吉川弘文館、1966)は、1985年に「新装版」が出ているのだが、これは実は単なる新装版ではなく、重要な箇所が書き直された改訂版だったのだが、国文学者の中にもそれに気づかなかった人がいたことは、上原作和『紫式部伝』に詳しく書いてある。相馬の本も、『重松日記』の刊行を受けて、『黒い雨』に関する部分を書き直している。
もっとも相馬も、『黒い雨』の作品としての欠点は指摘しつつ、猪瀬直樹だけは攻撃していて、その辺はあまり冷静とは思えなかった。
私は『黒い雨』をそれほど優れた小説だとは思っていないし、芥川とか太宰の「走れメロス」とか中島敦とか、元ネタのある小説には結構厳しいので、井伏にも特に思い入れはない。まあ、リライトだなと思っている。
(小谷野敦)