塚本明子先生が駒場へ来たのは、ちょうど私が大学院へ入った年で、46歳になった年だった。筑波から来たので、加藤百合さんと同じということになる。
 川本先生だったか、塚本先生を紹介して、イギリスで博士号をとって、ケンブリッジかオックスフォードか、と言ったら、平川先生が嬉しそうに「ケンブリッジ!」と叫んだ。
 深夜の酒宴になって、あまりなじめないで塚本先生が後ろのほうに一人で座っていると、小堀先生が脇までやってきて、「お嬢ちゃんは」と訊いたのを覚えている。
 その後、私と塚本先生には接点がないままだったが、だから娘さんがいるのは知っていたが、誰なのかは知らなかった。塚本利明かとも思ったが、そうではないようだった。近ごろ、塚本先生が出した訳書の監修を塚本泰(1938- )という人がやっていたので、この人か、と思ったが、NDLではこれを「塚本泰司」と同一人としている。しかし厄介なことに塚本泰司(1949- )という札幌医大教授がいる。これと違うのは分かったが、なんで泰だったり泰司だったりするのかは、分からない。

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ところで、私は詩が苦手である、ということはたびたび言っている。しかし大学の文学科というのは、今なお詩が主流である。比較もまた、芳賀、亀井、平川、川本とみな詩好きだし、小堀先生だって和歌である。要するに私にとって、言葉というのはツールでしかないのである。チョムスキーに傾いたのも当然であろう。
 高村光太郎とか萩原朔太郎が偉いのは分かるのだが、中原中也なんて、あんな気持ち悪いもののどこがいいのかと思う。大江健三郎も詩が好きだが、それで詩人にならずに良かったと思う。それで先日読んだ大江の短篇で伊東静雄の詩がモティーフになっていて、杉本秀太郎の解釈が良かったとあり、私はその詩に全然感心しなかったのだが、岩波文庫の杉本編『伊東静雄詩集』を買ってみたら、最初の五ページくらいでもう耐えられなくなり、売ることにした。