1988年に、江藤淳は日本文藝家協会を中心に、売れ行き不振の文藝書を応援するために文藝書専門店を作ろうという気炎を上げていた。その結果米子市にそういう店ができたのだが、そこへ、文藝家協会理事長・野口冨士男と江藤淳が、自分の勧める文藝書百選というのを出して推薦文を書いた。
これに異論を提出したのが秦恒平で、『中央公論』88年6月号(5月10日発売)に「文芸家協会の"読書指導"に異議あり」を書いて、権威主義的だと批判したのである。さらに「東京新聞」の「大波小波」は8月5日号で、秦の論を正論としてあおり立てたのだが、実はこの時点では、野口と江藤の推薦は文藝家協会とは関係ないという答弁がなされ、秦もこれについて了承していたのだという。
以上、野口冨士男『時のきれはし』による。