恋愛、12世紀の発明

 1993年10月26日、私は本郷仏文科の助教授だった月村辰雄先生に電話していた。のち「<男の恋>の文学史」になった博士論文に関するおたずねのためで、先ごろ若くして死去した平野隆文さんが前もって話しておいてくれたのだ。当時私は帝京短大で非常勤で英語を教えており、その講師室で仏文科の院生だった平野さんと知り合ったのである。平川先生の娘さんの節子さんも英語を教えていて、よく三人で話していた。
 20世紀前半のフランスの歴史学者・シャルル・セニョボスが「恋愛、12世紀の発明」と言ったということは、アンリ・ダヴァンソンの『トゥルバドゥール』などに書いてあった。その電話で月村先生から、これをセニョボスがどこで言ったのかはわからないのです、と教えられたのである。
 そのため、博士論文では典拠が示せず(いま考えれば、ダヴァンソンの本を示して、典拠不明とすればいいのだが)そんなことの書いてないセニョボスのフランス語の本などあげておいた。ダヴァンソンの原書を本郷の図書館で探したら、アンリ・イレネ・マルーという名で出ていたので驚いたのも懐かしい。
 爾来24年。月村先生はこの春東大を定年になった。早大非常勤の片山幹生氏はツイッターでの知り合いだったが、セニョボスの言葉の出展を見つけたと数年前に言われて、6月3日、駒場のフランス文学会で発表したので聴きに行った。片山氏と会うのは初めてだった。概略は前もって聞いていたのだが、結局は座談の席で言ったことをまた聞きで人が『コティディアン』という雑誌に書いたが、間違えて「十四世紀」と書いたので、セニョボスが「十二世紀と言ったのだ」と同じ雑誌で訂正したという経緯である。
 月村先生は、実家で夕飯をとって、それからピアノを弾くということだったが、今はどうしておられるやら。そういえば当時新倉俊一(しゅんいち。故人。アメリカ文学者のとしかずー存命。とは別人)先生も東大を定年になって帝京大学の教授だったので、その講師室で話したことがある。
 なお「恋愛、12世紀の発明」は、今では間違いとされている。もちろんそれ以前にも恋愛文学はあった。ダヴァンソンが言うには、それまでの詩は女が男に恋する詩だったが、12世紀のトゥルバドゥールの詩から、男が女に捧げる詩になったというのだが、古代ローマのカトゥルルスらの詩に、すでに男の恋の詩はあったし、トゥルバドゥール以前に多様な恋愛詩があったことは、ピーター・ドロンケの『中世ヨーロッパの歌』に詳しい。

恋の文学誌―フランス文学の原風景をもとめて

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中世ヨーロッパの歌

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トゥルバドゥール―幻想の愛 (筑摩叢書)

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