ガンバの冒険

 出崎統が死んだが、ニュースでは「あしたのジョー」が挙げられていた。しかし、出崎といったらまず「ガンバの冒険」である。私は初回放送の時は観なかったから再放送で観たが、まあだいたい
ノロイの声が怖くないということで話は盛り上がるのである。毎回最後は出崎得意の「止め絵」だが、ある回で、例によって冒険のあとでガンバが仲間たちと再会して、親友のボーボと抱き合うのだが、その時ガンバが、他の仲間の体をするりとよけるようにしてボーボへ突進する、それが印象に残っている。なお原作『冒険者たち』の斎藤惇夫は、『ガンバとカワウソの冒険』など、今日まで四作しか創作は書いていない。
 『カワウソの』は1983年、私が大学二年の時に出て絶賛され、野間児童文芸賞をとったのだが、これはまあ、それほどの作ではない。児童文学サークルにいた私は、学園祭で受賞作を並べるという企画をして、『ちいちゃんのかげおくり』なんかと一緒にこれを買い込んだものであった。

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 大江健三郎の『キルプの軍団』を読んで、あまりに素晴らしいので驚いている。これは1988年のものだが、私は『新しい人よ目覚めよ』(1983)に感心せず、伊丹十三が死ぬまでは大江のスランプ期だと思っていたのである。ただ短篇集『いかに木を殺すか』(1984)、『河馬に噛まれる』(1985)あたりは、文庫になってから読むという、いい読者ではなかったのだが、それなりにいいものもあった。『懐かしい年への手紙』(1987)は、図書館で借りて読んだが感心せず、『人生の親戚』(1989)は、単行本を買って読んだのだがダメ、で長く大江から遠ざかったのであった。その間に、これほどのものが書かれていたとは、である。
 「キルプの軍団」は、大江の次男をモデルとし、語り手として、高校生の少年が、小説家である父、障害のある兄などとともにあって(娘はここではいない)、警官である叔父さん(これも実在)を交えて、ディケンズの『骨董屋』を英語で読んでいる。キルプは、その登場人物である。なお『骨董屋』は、『少女ネル』などの題で子供向けに訳されてもいるし、アニメ化されたこともある。完訳は北川悌二のものが73年に出ているのだが、大江はこれは参照しなかったようで、誤訳を指摘されたということが、私が読んだ同時代ライブラリー版のあとがきに書いてある。
 少年はオーちゃんと呼ばれているから、治とかいうのだろうか。兄は光である。この辺の、まるで私小説のように実際の名を出して、読者の想像力を刺激するのが、大江の巧みさなのだが、内容は全体としてはフィクションで、少年が知りあった原という映画監督と、その伴侶のような、元サーカスの一輪車乗りでヤマグチ百恵という女性などで、その『骨董屋』のヒロイン・ネルと、ドストエフスキーの『虐げられた人びと』のネリーを混ぜ合わせた映画を作ろうとしている。原という人はかつて左翼の過激派に属していたというから、土本典昭あたりをモデルにしているのか。だが、最後にフィクションでしかありえない事件が起きる。
 西洋の文学作品、しかもあまりメジャーでないものを核にして小説を書くというのも大江が時どき使う手だが、明らかに純文学で、しかし面白く、また1980年代以降盛んになった、通俗小説仕立ての純文学とも違ってまったく独自の世界になっている。実に1970年代以降の日本文学というのは、大江ひとりがあまりに圧倒的だという奇観を呈している。大江のマイナー作品ひとつに、全作品をもって立ち向かっても及ばない純文学作家(世間的には大物)が何人もいるのだから。
 なお作中「ルドヴィジの玉座」というレプリカが出てくるが、これである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ludovisi_Throne
キルプの軍団 (講談社文庫)

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