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先日「女犯2」について書いた時リンクしてくれた人の日記で知って、1997年に宮台と「援助交際」(少女売春)について「朝日新聞」で対談してずるずる同意してしまった金盛浦子(1937- )という人を調べたら、70冊以上の、いかにもくだらなそうな著書があってげんなりした。まあ本当は読まずに言ってはいけないが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%9B%9B%E6%B5%A6%E5%AD%90
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中井英夫の『虚無への供物』について、教えられて笠井潔の『探偵小説論1』の最後に収められた論を読んでみたが、水上勉の『飢餓海峡』と並べて、文庫解説と似たようなことが書いてあっただけだった。私は『飢餓海峡』は、内田吐夢の映画を観てから読んだが、映画以上のものではなく、むしろ冗長に思った。
しかし、中井作が、探偵小説を解体するとかいうのは、およそ下らない。解体したいなら探偵小説など書かぬがいいのである。笠井は、ロブ=グリエを超えるなどと書いているが、だいたい私はヌーヴォー・ロマンなんて死ぬほどつまらないとしか思っていない。
「最終演劇」とか言いつつ演劇を論じる奴とか、どうも分からん。こういうのはまったく全共闘世代だとしか思わない。解体だの自己批判だの、アホらしいだけである。
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秦澄美枝の『魂の殺人』は十年くらい前に買った。最近、その続編『二次セクハラ清泉女子大学裁判』が出ていることを知ったのだが、これが何とももどかしい。
事件の発端は1999年ころ、同大学へ兼任講師として来ている六十代の教授が、次々と女子学生を誘い出して、猥褻行為から性行為まで行い、被害者は30人にのぼったというスキャンダルである。『週刊宝石』99年7月8日号に記事がある。
Kとされているその講師は、国語教育が専門で教職課程を教えており、全国の中学校に教え子がいるから、清泉の卒業生を教師として送りこむ力を持っていた。そのため、女子学生たちは逆らえなかった、という。
しかし、これはひどいと思った学生が、やはり兼任講師だった秦氏に相談して、訴え出て、Kは雇い止めになった。しかし清泉の教授が、「えらい先生をあらぬことを言ってクビにした」と秦氏を非難する発言をして、二次セクハラとして訴訟になり、秦氏側が勝ったものである。
しかし、この講師が、講師なのになぜそんな力を持っているのか、それに、なぜ教授でなく講師なのか、というあたりが、この事件のおかしなところで、『週刊宝石』を見ると、山梨県の大学を定年退職したところとなっているから、そちらの教授だったのだろう。となると、山梨大学、都留文科大学、山梨英和短大、山梨県立大学などが考えられるが、そんなに勢力のある男なら、山梨大教育学部としか考えられない。
また、秦氏の悪口を言ったのは、女性教授のKとあるが、これが先の男とどういう関係があってそういうことを言ったのかも分からない。
結局こういうのを、仮名で書くと、実は関係ない人とか大学にまで疑いがかかることもあるし、実名で書いて何か問題があるのだろうか、というのが私の疑念で、どうせ裁判になったのだから、書けばよいのに、と思うのである。