いったいどこから発生したのか、少なくとも最近では小泉に騙された「民営化すればよくなる幻想」である。映画「まぼろしの邪馬台国」にあわせた吉永小百合切手シートを買おうとしたら、映画鑑賞券とポスターとセットで5500円でしか売らないという。映画なぞどうでもよい、という人は多かろうに。郵便局は民営化で良くなってなどいないわ。
 それで疑問なのが、以前宮崎哲弥氏が『諸君!』に連載していた新書評で『東大教師が新入生にすすめる本』(文春新書)をワーストにして、こんな下らない本を勧める連中が教師をしているなら、東大を民営化してしまえ、と書いていたことで、いや民営化してよくなるなら私立大はすばらしいかといえばそんなことはないわけで、まあ見方を変えればこんな大学に莫大な政府助成は要らんってことなのだろうが。

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 国会に、僧籍にある議員が法衣姿で登壇したというニュースがあった。以前も法衣で出ようとして「政教分離」でダメだったというのだが、瀬戸内寂聴文化勲章受章の際にも法衣で出て、前例がないとかで少し調べたというのだが、あれも政教分離だったのだろうか。しかし、僧籍やら洗礼を受けたキリスト教徒やらが、議員になること自体は良くて、法衣で議会に出ると政教分離に反するというのはおかしな話で、では聖職者が国会議員になること自体はなぜいいのであろうか。国会へ出る時はいったん聖職者でなくなる、などということは、聖職者の本義からいっておかしいのである。もちろん、相撲は神事だというのも、天皇が祭祀王だというのも、後者はもちろん、前者が天皇杯総理大臣杯を受け取っていることからするとおかしいのである。政教分離に関する議論は、ちっとも深まらないままである。

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年末にテレビに出た時、某氏が、「ブログなんてのは便所の落書きみたいなもんでしょ」と言っていたが、50代の某氏、おそらく2ちゃんねるもブログも区別がついていないと思われた。
 しかし学者のブログにせよウェブサイトにせよ、あまりないんだよなあ。もはや今日び、学者と名乗る以上、ウェブサイトくらい持って、自身の業績をきっちり世間に向って申告すべきだと思う。モデルケースとしては、新潟大学三浦淳先生のようなのがいいだろう。とにかく、学者なのにReaDにも登録がない、業績を調べようにもネット上にない、ウィキペディアにもない、外国で博士号をとったらしいがそれは外国でさえ刊行されていないから題目が何かすら分からない、などというのは社会的責任の抛棄である。小林康夫よ、あなたがフランスで出した博士論文の題目すら、分からないのだよ。