ふと思い出したのだが、大学一年から二年生のころ、私は綾瀬にある塾で教えていて、そこは東大生が教えるというのをウリにしていた。ただし男子だけだった。だがその中に一人だけ、東大生ではない人が、教えている学生の紹介で教えに来ていたらしい。ところがその人の教え方が行き当たりばったりで、塾の教頭みたいな30代の人から、「それは君が遊んでるんじゃないか」と言われ、いろいろ話した結果、その人は辞めることになった。
ということを、ある土曜日の夜、アルバイト学生十人くらいが集められて、塾を主宰する50代くらいのおじさんから説明を受けた。その東大生じゃない人を紹介した人は、何も知らなかったらしく、驚いて、その当人は別室にいるので、ボク連れてきます、と言い、おじさんは「いや、それはいいと思います」と制止し、それを聞いていたらしい当人が顔を出してその人に、いや、俺あっちにいるから(あとで話に来てくれれば)みたいなことを言った。
その説明が済んで、近くの大衆食堂からとったらしい、ご飯に、ただ玉葱を切って炒めただけのものがついている定食が配られてみなで食べたのだが、誰もほとんど口を利かず、実際よほど安くて不味い食事だったのだが、生涯であれほど不味い食事というのは食べたことがなかった。そのアルバイト学生の一人が、坂仁根という、今は弁護士になっている、当時は写真に夢中になっていて大学卒業後写真学校へ行った人である。
(小谷野敦)