いじめっ子だった保坂和志

 保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』というのは、
(活字化のため削除)
 保坂は最初のほうで、いじめられっ子のような人間こそ小説を書くべきだが、自分などはそれどころかいじめっ子だった、と書いている。私は保坂の小説に感心したことがなく、何かほっとした。いじめっ子だった奴の書いた小説になど感心したら、情けないしね。
 保坂は執拗に、ネガティブな経験などを描くな、と繰り返している。私はむしろ、ネガティブなことを進んで書くべきだと思っている。最後の方になると、「自分をいじめた小学校の同級生へのうらみつらみ」などを小説にすることを批判して、それは「小説という形式を利用しているだけではないのか」と書いている。利用して何が悪いのか。小説というのは、何でも書ける形式である。古来、数多くの作家が、小説という形式を使って、政治や社会を諷刺したり、批判したりしてきた事実を、保坂は無視している。だが、保坂がいじめっ子だったという事実に照らすなら、なあるほど、自分がいじめた奴がそれを書いたら困るものね、さすがは元いじめっ子だよ、と納得がいったのである。
 多分保坂にとっては、昔の恨みなど忘れることが「成長」なのだろう。小説が書けなくなるとこの人は通俗宗教書を書き始めるね。もう書いてるのかな。

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週刊現代』の匿名書評「ナナ氏の書評」が、野崎歓の『赤と黒』(光文社文庫)への、立命館大学教授下川氏による批判を取り上げている。些細な揚げ足とりや、下川氏の異常に居丈高な姿勢を批判しており、私もまあそう思う。しかし、掲載誌が講談社の雑誌と来ると、どうもね。だって光文社って講談社の系列会社だもの。「ふ」って感じがするんだよね。
 (小谷野敦