平野謙「新刊時評(上)」を読む

私は平野謙に詳しいわけではないし、杉野要吉に批判されているのは知っているし、川端康成没後、耕治人の作品にことよせ、川端を陥れようとしたのも知っているが、近松秋江を評価した人でもあり、なかなかに見逃しがたいが、こんな本が全集とは別個にあったことを知らなかったから、読みながら驚いてばかりいた。これは河出書房から出ており、「文藝時評」上下「文壇時評」上下に続いての上下巻で、よく書いたもんだなあと思う。昭和8年から1975年までに書いた新刊書評を集めたというが、昔は「書評」というのは新語だったらしく、平野はそんな言葉は使いたくなかったという。

https://m.media-amazon.com/images/I/51WH1K6BZ7L._SL75_.jpg

 戦後からがやっぱり面白く、平野は文学史的なもののほか、推理小説も好きだから、読んでいて面白そうだと図書館で借りてきて読んでいた。有馬頼義の「葉山一色海岸」を読んだのは収穫だった。

 あるいは中井正一の『美と集団の論理』の書評もあって、私は昔読んで難しくて分からなかったのだが、平野が書評で、(うっかり引き受けたが)「これはみずからをはからざるものだった。『美と集団の論理』一巻はたいへん難解であって、半月ほどかけて読了したのだが、到底理解できたという自信はない」などと書いてあり、やっぱりそうか、と思ったのだが、同じ中井の『美学入門』なんてのも、大学では美学科へ行こうかと思った私は高校生の時に読んで、「これが「入門」か!」と呆れるほど難しかった。しかし、現在書評でこんなことを書いたら、まあ没にされて、ちゃんと理解できる人のほうへ廻ってしまうだろう。全体に初期の書評は、「実は私にはこれを批評する資格がない」とか言い訳が書いてあって、そのへんは今の、何でも分かったふりをする書評と違っていて面白い。

 上巻はまだ昭和40年あたりだが、あとがきを読むと、このあと平野は『週刊朝日』で無署名書評を始めて、原稿料が良かったので編集部からあてがわれる本をホイホイ書評していたというが、平野は明大教授だったのだからそんなにガツガツしなくても、と思ったものだ。同じ雑誌で書評をしていた大江健三郎と一緒に帰るのが楽しかったと書いてある。ところが1972年、大江の『みずからわが涙をぬぐいたまう日』を平野が書評した時、小説の筋の誤読があり、大江が抗議して、平野は謝罪弁明文を書いて書評委員を降りるということがあった。だがこれについて平野は、大江は、書いたのが平野だと知って書いたに違いないと書いている。さらに「実は私はひそかにこの作品の成立そのものに根本的な疑いをいだき、しかし、それについては書評では触れることができなかった」とあるから、私はぎょっとしたので、「成立に根本的な疑い」とは何なのか、誰か教えてくれないかと思ったものである。

 しかし、最近では平野謙ははやらないらしく、講談社文芸文庫とかにも入っていない。私はこういうのはずいぶん面白いと思っているのだが。

https://m.media-amazon.com/images/I/41D0jua7uvL._SL75_.jpg