桂文珍が、谷沢永一の誘いで関西大学で非常勤講師をした時、給料明細を見て、一桁違っているのではないかと驚いたという。もちろん、安いのに驚いたわけだ。文珍とて、高座と同じくらい貰えるとは思っていなかっただろうが、予想外に安かったわけだ。逆に、非常勤講師で食っている人が、人気俳優などの収入、あるいは文珍の一高座のギャラを聞いたら、学者などやる気をなくすだろう。私も、人気タレントのCM出演料が数千万円と聞いた時は、意気阻喪した。
内館牧子が昨年暮れ、『女はなぜ土俵に上がれないのか』を新書で出したが、内館も驚いただろう。研究したものというのは、こうも売れないのかと。内館は脚本家だが、エッセイも書いているし、ドラマのノヴェライズも出している。内館がいかに苦労人でも、新書で出してもこの程度のものを、でかい研究書をせっせと研究したあげくに出す学者連の気が知れないと思ったのではないか。
「学者になって、本の二冊も出せば左うちわだもんね」という学生の会話を聞いて岸本葉子さんが怒ったという話があるが、まあ二冊はともかく、上野千鶴子なら、別荘も持っているし、しかしせっせと動き回っているのだから左うちわとは言えまいが、まあその学生が想像する程度には金は入っていよう。ただしそれも40過ぎてからのことだ。左うちわ、をしているのは、何といっても「地主」である。
また、学者の中でも、せいぜい7万部くらい売れた本を出した同僚に「今年は青色申告ですね」などと言う者がいるようだが、新書7万部くらいで青色が必要なものか。あるいは、作家とかエッセイストと名がつけば、売れて儲かるのだと思い込んでいる人もいる。またあるいは同じ作家同士でも、筒井康隆が初めて純文学雑誌に書いたときは、原稿料の安さに驚いた、という話もある。
まあ、最近はさすがに、「本を出せば印税ガッポガッポ」などと妄想する者はいなくなったが、なかなか理解は得られないもので、たとえば、たとえ五年かかっても、本が売り切れたら増刷するものだと思っている人がいる。もし、売り切れるのに五年もかかったら、増刷はしない。そのまま「品切れ」行きである。それどころか、三年たって売れ行きが悪ければ、断裁されることもある。分かったかね、マークス・ウォーターマンよ。
(小谷野敦)