高山宏の怖い自伝

「超人高山宏のつくりかた」題名からして、ご乱心あそばされたか、だが、『文學界』のインタビューによれば、さすがに自分でつけたわけではないとのこと。
 内容はといえば、全編戯文調で、盛んに四方田犬彦の『先生とわたし』が出てくるところから、二ヶ月程度で書き飛ばしたものと思われる。自慢および仲間褒めだらけである。
 高山氏に何も意趣遺恨はないのだが、つきあう相手が悪い。中沢新一田中優子がいるし、松岡正剛もいる。松岡氏にも遺恨はなかったのだが、「千夜千冊」で、名を兼仁という光格天皇が、本来は「兼仁院」となるはずだったなどと、諡号を理解していないことを書いていたのでメールをしたが返事がなく、以後だいたい信用していない。
 ジャン・スタロビンスキーという学者がいるが、高山著に「スタロバンスキー」と書いてあるので調べてみたら、「スタロビンスキーが正しい」と断言している小西嘉幸訳『自由の創出』以外はみなスタロバンスキーで、まあこんなものは、フランス人やらアメリカ人やら、まちまちに呼んでいるに決まっているし、どちらでもよい。
 博識で鳴らす高山氏だが、昔からその唯我独尊的態度は有名だった。が、例によって、留学したことがないらしいし、この唯我独尊ぶりはそれが原因の一つかとも思う。
 あと間違いとして「『アリス狩り』がデヴューだから」とある。フランス語デビュをデヴューと書くのは素人がよくやる間違いだが、博識高山がやるか、と思った。田中優子の『江戸百夢』を褒めて、「再びのサントリー学芸賞」とあるが、サントリー学芸賞は同一人に二度はやらない。『江戸の想像力』は芸術選奨新人賞である。「探偵アルセーヌ・デュパン」とある。『モルグ街』の話の文脈だからオーギュスト・デュパンの間違いだろうが、推理小説論の著もある博識高山が、リュパンデュパンを混同するか。
 いやしかし、60になるまで著書など出すものではないと考えている東大教授よりは、よほどいいとは思っている。

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先日、地球温暖化論を疑問視していることで知られる薬師院仁志の新書『日本とフランス』を読んだら、フランスでは右翼勢力が反ナチスのドゴールの系譜上にある、と書いてあった。しかしそういう言い方は変で、日本でだって、吉田茂鳩山一郎大政翼賛会東条英機の批判者だった。右翼でも王政復古論者ではないと言うが、19世紀半ば以来復活したことのないブルボン王朝の復活論者がほとんどいないのは当然だし、イスパニアでは王政復古によって民主化がなされた、とあるが、フランコ独裁がそれほど非民主的だったかどうかも疑問視されている。北欧は福祉国家で、民主主義と王制が同居しており、王制廃止論者もいないと取れる表現があるが、北欧にだって王制廃止を言う勢力はいる。
 私が不思議なのは、イスラム教徒の排斥を唱えた著書のため刑法上の罰金刑を食らったブリジット・バルドーの例が、日本で全然議論の俎上に上らないことで、こんな言論の自由の制限は、日本なら考えられないことで、薬師院は、フランスでは自由より平等を重視すると主張しているのだから、この例など格好の例だと思うのだが。

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『文藝年鑑』のあとがきには、著作権は死後70年というのが世界標準になっており、日本だけが「五十年でいいのだ」と主張する‘独自路線’など許されないだろう、と書いてあって、憤りを覚えた。なんでそんなことで世界標準だの許されないだのという語が出てくるのか。こういう主張をする者が20世紀はじめにいたら、日本だけが植民地を獲得しないなどという‘独自路線’は許されない、などと言うのだろう。米国ではディズニーが主導して70年にしたというが、いったい文藝家協会の延長論者は、何が目的なのか。死後も読み継がれるであろう人気作家がそういう主張をしているだけなのか。
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 「ウルトラセブンX」には失望したなあ。何も深夜だからといってああいうものにしなくてもいいと思う。あれじゃあネクサスの二の舞になりそう。