平山瑞穂の「エンタメ作家の失敗学」(光文社新書)という、作家が売れなくなり本も出してもらえなくなったという内容の本への、私のアマゾンレビューが「冷酷」だと言われているが、私自身も境遇は平山と同様なので、読んで、これでは売れないと思ったのと、平山家四代の話を書いたらいいんじゃないかと書いただけである。むしろ、頑張ってください、とかのレビューを書いた人が、平山の小説作品を読んでないんじゃないか、読みもしないで頑張ってくださいと言われてもねえ、と思った。
さて、私は平山の作品のうち、ファンタジーノベル大賞をとった「ラス・マンチャス通信」と、いささか自信作だったらしい「冥王星パーティ」に目を通した。後者は、800枚書いたものを長すぎるから500枚に削ってくれと編集者に言われて削ったというものである。
さて「ラス・マンチャス通信」は、純文学作品として書いたものを四つ並べて連作風にしたものだというが、最初の作では「あれ」と呼ばれているものの奇怪な行動を描いているが、「あれ」というのは兄だということが最後に明かされる。しかし、兄だと分かって読んで、これは面白いのだろうか。何か純文学をなめているという感じはした。
しかし驚いたのは『冥王星パーティ』の、最初のほうに出てくる男女の会話である。男が「シュショウになろうと思っている」と言うと、女が「殊勝?」と訊くのだが、もちろん「首相」である。こんな会話は実在しないだろうと思うのだが、女の「殊勝」という変換は、誰の視点で観察して書いたものなのだろうか。さらにその先に「首相公選制」という聞きなれない言葉、とかいったことが書いてあった。だがこれは2007年の作品で、首相公選制は小泉純一郎が盛んに言っていたから、聞きなれない言葉ではないと思うのだが、著者や編集者は、このあたりをどう思って通したのだろう。これはいくら何でも、800枚を500枚に縮めたために出現したものではあるまい。こういう点からも、何か基本的なところで間違っている作家だという気が私はするのである。もちろん、お前だって売れないことに変わりはないだろうと言われたらそれまでではあるが。
(小谷野敦)