鈴木貞美

『近代生活』1931年4月「雑誌及編輯者批判(座談会)」 龍胆寺雄 若草は女の子だけでなく、文学青年相手の、ちよつと文学時代を更にジャナリスティックにやつた行き方だ。 『新潮』1932年10月座談会「純文学の危機に就いて語る」

むかし、米国在住の女性日本文学研究者が、自分は昔アメリカへ留学してヘンリー・ジェイムズとかをやろうとしたら、君は日本人だから日本におけるヘンリー・ジェイムズをやれ、と言われて嫌だった、という話を、ひとつ話のようにしていた。いつもこの話だな…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano518.pdf 鈴木氏の反駁文は、本筋とは関係のない話が多く、そこで「博識」ぶりを開陳するので、それに幻惑されてしまいがちだ。私も、余談を誘発するようなところがある。そこでそういうあたり、…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano516.pdf[ 鈴木氏の「民衆文学」という語についての説明は、混乱しきっている。 1.西鶴、芭蕉、近松を「民衆文学」とする。そして「自然発生的で為政者の弾圧に耐え」などと称揚する。 2.日本…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano5012.pdf 西鶴、近松、芭蕉を「民衆文学」とするのは、単なる鈴木氏の「意見」に過ぎない。なるほど北村透谷は、近世の、遊里を中心とした文藝を批判しつつ、それが民衆の文藝だからというので、…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano511.pdf 私は、西洋文学で大衆文学が文学史に入っていた、などとは言っていない。日本でも同じことで、日本文学史は特殊ではない、と言っているのだ。明治期の家庭小説も新聞小説も、文学史から…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano509.pdf もう終わりかと思ったらまだ続いていた。さすがに鈴木氏も、20年かけてやってきたことを今さら間違っていましたとも言えないだろうから、私も終わりにするつもりである。鈴木氏は戦略だ…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano427.pdf 結局、「最後」にはならなかったようだ。なお「詭弁」のところは、まったく訂正の必要を認めない。これは、鈴木氏が筆が滑ったのだと考えるほかない。(鈴木氏はこれまでのやりとりを移…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/index.html これで最後になるらしい。私がまた書き返すと最後にならないかもしれないのだが、やはりおかしいので書いておく。 私が片山杜秀の書評について言っているのは「日本の文学部はおかしい」というところである。…

http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/index.html 片山杜秀の書評が見当違いであると鈴木氏が思っていることが分かったが、私のブログなどより読売新聞のほうがずっと読まれているわけで、あれを読んだ人のうち「おかしなことを言っている」と思った人は多いは…

鈴木貞美『「日本文学」の成立』の冒頭にあるのは、こんな文章である。 本書は、「日本文学史」などに用いられる「日本文学」という概念が明治期にはじめて成立したこと、それが国際的に実にユニークな「人文学」であることを明らかにする。ヨーロッパやアメ…

続きである。鈴木氏の挙げたカントの定義だが、そもそも何が藝術で何がそうでないかといったことは、定義できるものではない。それは、時代によって変わるし、人によっても変わる。 鈴木氏の仮想敵は柄谷らしいが、柄谷『日本近代文学の起原』は私も『評論家…

昨日の続きだが、直木賞規定に「大衆文藝」とあるのに、芥川賞規定には「純文藝」ではなく「創作」とある点について、「直木賞のすべて」のPLBさんにお尋ねしたところ、以下のような返答があった。 芥川賞規定に「純文藝」と書いていない(「創作」と書い…

(後記:鈴木貞美氏の文章が別にまとめられてリンク切れになっているので、トップページを掲げておく) http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/index.html 鈴木貞美氏の新しい文章である。読んでいないのに書いたのはなぜか、ということは説明したが、というの…

『週刊朝日』の「坂の上の雲」シリーズに大阪市大名誉教授の日本史学者・毛利敏彦が登場して、征韓論に関する自説を述べ、毛利説は大きな影響を与えて「征韓論」は「遣韓論」と呼ばれることになった、などと書いてある。 毛利の説は、『明治六年政変の研究』…