ケン・フォレット「大聖堂」が日本ではイマイチなのはなぜ

 先日、アメリカの作家ケン・フォレットが12世紀英国を舞台にして書いた大長編『大聖堂』について、これははじめ新潮文庫で翻訳が出たので、新潮社の校閲の人が原作のミスを見つけたという記事を読んだ。前から『大聖堂』は気になっていて、世界で二千万部のベストセラーだと言われていて、しかし長いので手をつけられずにいたのが、それで気になって、調べたらドラマになっているので、ドラマの第一回を観たがそれほど面白くはなかった。だが原作を借りてきて全三冊の上巻を読んだら面白かったのだが、周囲の人に訊いても、誰も「読んだ」という人がいないので、Xで投票にかけてみたら、読んだという人はごく少なく、大多数は「何それ、知らない」であった。

 それでも、もちろん普通の本よりは読まれているが、「ハリー・ポッター」に比べたらさしたる成功を収めていない。

 かつて渡部昇一は、アメリカの作家ハーマン・ウォークという、『ケイン号の反乱』で知られる作家が若い女を描いた『マージョリーモーニングスター』という長編を、初めて英語で読み通した小説だと言っていて、これは50年代にアメリカでベストセラーになり、日本でも翻訳されたのだが、ちっとも売れなかったようである。

 比較文学の世界では、「翻訳研究」というのが盛んで、たとえば日本文学がどのように英訳されたか、などを調べたものがあるのだが、私のようにカナダの大学で日本文学を学んだ人間には、さほど新味はない。これに対して四方田犬彦は、キティちゃんは世界的成功を収めたが、「ちびまる子ちゃん」は西洋では受けず、むしろアジア諸国マーケティングに成功しているということを言っていて、これは実証的研究の対象になりにくいのだが、私はむしろそっちのほうに面白みを感じる。つまり『大聖堂』はなぜ日本ではイマイチなのか。それは単に12世紀イングランドについて日本人が不案内だからなのか。まあ、そうかもしれないが、日本文学が源氏物語や川端から村上春樹までどう西洋に受け入れられたかを研究するというのは、どうも愛国的すぎて好きになれないところがある。むしろどういうコンテンツがどこで受け入れられ、どこでダメだったか、のほうが私の興味に合致するのである。

小谷野敦