川端康成と服部之総

大正15年末に、川端康成は伊豆の湯本館に滞在していた。そこへ大阪から梶井基次郎がやってきて、川端と知り合い、そこで肺病の養生をした。その時のことは『川端康成詳細年譜』(深澤晴美共編)に詳しく書いてあるが、服部之総は出てこない。

 しかし、京都精華大学斎藤光さんのXポストで、服部が「三十年」という随筆で、「私が川端と湯本館に来ているとき、彼(梶井)はこの湯川屋で肺病を養っていた」と書いているのを知った。この随筆の初出は『日教組教育新聞』1953年5月6日で、「明治維新史 付・原敬百歳』(新泉社、1972)に載っていて、『原敬百歳』という題でのち中公文庫に入っているが、どうもその時「6日」を「16日」と誤記したらしい。

 あと大久保典夫の『物語現代文学史 1920年代』(創林社1984)には、林房雄(本名・後藤寿夫)が「伊豆の湯ヶ島湯本館に出掛けた。そこに新人会員の服部之総(のちの歴史学者)がいて、同館滞在中の川端康成中河与一に紹介される。」とあり、これは『詳細年譜』にもあるが、服部の名は川端の文章にも、梶井の手紙にも出てこない。「川端と湯本館に来ているとき」という表現もちょっと疑問がある。

小谷野敦