「親にはナイショで・・・」の思い出

「親にはナイショで・・・」は1986年1月から3月までTBSで放送されていたドラマで、私は途中から観ていた。当時秋葉原はまだオタクの聖地ではなく、その電気店の店長をしているのが原田芳雄で、その妻が星由里子、これが花登筐が死んだあとだったので目が覚める美しさだった。その息子が高校受験を控えているのだが、安田成美が演じる高階えり子という謎めいた女子大生が家庭教師につくのだが、15歳の息子がこの「えり子さん」に恋してしまい、あやうく・・・といった筋で、これにえり子と知り合って惚れている駅員の柳沢慎吾と、えり子の弟の尾身としのりと、その彼女になる美保純、原田芳雄とアヤシイ店員の高橋ひとみなどがからむ。

 当時私は英文科の四年で、大学院の試験を受けて落ちるのだが、もちろん童貞だったし、うらやましく思いながら観ていた。安田成美は地方の金持ちのお嬢さんらしく、最終回で柳沢慎吾とベッドインしたあと、姿を消してしまう。

 原田芳雄はどういうわけか、妻を「広子さん」と呼び、ですます体で話すが、これは宇崎竜童をモデルにしたんじゃなかったか。妙にモヤモヤするドラマであった。あと東大の美術史の教授だった高階秀爾の娘が絵里香というが、これは偶然だろう。

マルグリット・デュラスと小児性愛

マルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』がゴンクール賞をとり、日本でもベストセラーになったのは1985年のことで、ほどなく映画化もされヒットした。デュラスは私小説作家ではないが、自分が14歳のころインドシナでシナ人富豪にカネで買われていた経験を描いたものである。

 のちに私はマーゴ・フラゴソの『少女の私を愛したあなた』という告発文を読んで、これだとペドファイルで非難になるのに『ラマン』が文芸作品扱いされるのはどういうわけか、と書いたが、どうやら最近ではデュラスは自分を対象とする小児性愛を肯定したと批判されるようになったらしい。

 これというのも昨年、フランスの作家マツネフというのが、少女をセックスの対象にしていたのを批判されてからで、(「同意」 ヴァネッサ・スプリンゴラ 著, 内山奈緒美 訳. 中央公論新社, 2020.11)、当時フランスの知識人らが、少女との性愛はOKだという署名をしたとされ、ボーヴォワールフーコーも書いたとされ、のちフーコーは書いていなかったと訂正される騒ぎになってからである。

【毒家族】マルグリット・デュラス “小児性愛”を肯定した仏大作家と長男至上主義の母(ELLE DIGITAL) - Yahoo!ニュース

「しかしこの作品が世界的作品となったことには大きな問題があった。この関係性は明らかに少女買春であり、ペドファイルの物語。それを「愛だった」と結論付け、大っぴらに肯定してしまった。」

 佐伯順子さんは、90年代半ばから、デュラスの「愛人」と樋口一葉、特に「にごりえ」の比較というのを何度か書いている。別にデュラスが一葉を読んでいたわけではないし、こちらは私小説でもあり、そもそも「比較文学」というのはこういう関係ない作品をいきなり選び出して比較するものではない。「アメリカ派」などと言われてやる人も以前はいたが、今では異端である。

 はじめはちょっとした手すさびだったのだろうが、最新の『比較文学研究』106号にも「コンタクト・ゾーン」における女性の〈声〉: 「にごりえ」と『ラマン』が描くジェンダーの共鳴 」という「論文」を載せていて、まだやっているのかと呆れたものだが(なおこの雑誌は査読雑誌だが、これは依頼して載せた論文なので査読つきではない)、佐伯さんは、少女のデュラスが、男社会が作った性軌範から自由であるといった擁護の仕方をしていて、これは90年代に宮台真司が、援助交際少女を擁護したときに使ったのと同じ論法で、佐伯さんは時代が変わったことには気づいておらず、これでフェミニズムをやっているつもりなのだろう。25年も同じ題材を繰り返してボロボロになるまで使ったりしないでもっとほかのものも読んだらどうかね。

 しかし私はデュラスの「愛人」は面白くも何ともなかったし、デュラスの作品に感心したことがなく、通俗作家だろうと思っている。

小谷野敦

 

『谷崎潤一郎伝』の今昔

 私が『谷崎潤一郎伝』を出したのは2006年で、それから15年たって文庫版が出たが、特に大きな加筆訂正はしていない。「シナ」を「中国」にしたのは、近代に限ってのことで、別にそのままでも良かったのだが面倒なので直した。

 「松の木蔭」などの新資料を使って加筆してほしかったというレビューがあったのだが、「武州公秘話」の続編は、確かに「松の木蔭」に書いてはあるが、元の本でアンソニー・チェンバーズが松子から密かに見せてもらって書いたのを移していて、そちらのほうがまとまっているので、別に修正の必要はないと思った。いじると却ってチェンバーズ氏に失礼になる気もした。

 2006年には、谷崎と渡辺千萬子の往復書簡集も、嶋中鵬二宛ての書簡集もすでに出ていて、そのあと出た松子姉妹への書簡や娘鮎子への書簡集、「松の木蔭」などには、大きく伝記を変更すべき資料はなかった。せいぜい真鶴館のおかみとの不倫にからんで、私は谷崎の孫かもしれないという記事が『新潮45』に出たのが気になったが、これも黙殺した。

 歴史でも伝記でも、新資料というのはいつか尽きるものだ。

小谷野敦

田中優子「遊廓と日本人」アマゾンレビュー

2021年11月14日に日本でレビュー済み
 
私はかねて田中優子を「江戸幻想派」として批判し、田中の2002年の本『江戸の恋』を徹底批判したこともある(「中庸、ときどきラディカル」)。もともと、近世文化が遊里遊女という奴隷を女王として成り立っていたことは、大正末年に阿部次郎が『徳川時代の芸術と社会』で批判したことで、フェミニズムとは関係ない。田中はフェミニズムに加担しているふりをしているから、本書冒頭で「ジェンダー論」の視点から、遊廓は今後はあってはならないと書いていて処世術を窺わせるが、どうもここの書きぶりは、現代のソープやヘルスもいけないことになるらしい。ではセックスの相手がいない男はどうしたらいいのか、考えてからものを言うべきではないか。あとなぜ「遊女」が生まれたのかと考察しているが、娼婦は他国にももれなく存在するもので、ただ日本だけが近世文化において妙に重要な位置を与えられた。田中にはそこを比較考察する視点がない。女かぶきの禁止が遊廓を生んだと書いているが、吉原遊廓は女かぶきの禁止より前の元和三年ではないか、また中世にも遊女はいたのではないか。近代においてマリア・ルス号事件のために娼婦が(偽の)解放をされたように書いているが現在の研究ではマリア・ルス号以前から明治政府は遊廓の改革を考えていたことになっている。「鬼滅の刃」にあわせて急ごしらえしたような本で、あまりふだんからちゃんとものを考えていないことが分かる。
 
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「舞踏会へ向かう三人の農夫」をあきらめる

 古い『文學界』を整理していたら、2000年の号に、ちょうど柴田元幸の翻訳が出たリチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』という長い小説についての座談会が載っていた。柴田、若島正高橋源一郎佐藤亜紀によるもので、前のほうを読んだがみなこの小説に感銘を受けている。

 私は少し前にこの小説の柴田訳を最初のほうだけ読んで挫折している。三つの話が交互に出てくる構成らしいので、落ち着いて読んだら読めるかもしれないが、時間がかかりそうだ。もし人生が永遠にあるなら読んでもいいが、そうではない。まあ私が読んでいた限りでは退屈だったが、あとのほうへ行くとそうではないのかもしれない。

 私は『ユリシーズ』とかピンチョンとかの前衛小説は苦手な人間だが、このパワーズのやつは、何か悔しい感じがする。アマゾンレビューを見ても、あまりちゃんと通読した人がいなそうだ。

 だが、元ネタとなった第一次大戦ころの写真「舞踏会へ向かう三人の農夫」というのを見ても、私は別に感銘を受けないし、自分には合わなそうだなと思う。それでこの小説についてはあきらめることにした。くやしいが、仕方ない。

「演劇界」の裏側

「演劇界」という月刊誌がある。こんな題名だが歌舞伎雑誌で、戦前からある歴史ある雑誌で、特に難しい雑誌ではないが、専属みたいなライターが何人もいて、松井今朝子などもその出身で、ほかに如月青子とかいる。

 私が大学一年の時、この雑誌の「歌舞伎特集」というのを買ったことがある。歌舞伎雑誌なのに歌舞伎特集は変だが、もしかすると、建前としては歌舞伎雑誌ではないのかもしれない。とにかく初心者向け案内みたいな特集号であった。

 後ろのほうに門閥俳優すべてにコメントがついているのがあり、二代目尾上松緑は「せりふが、みんみんいう」とか割と悪口も書かれていた。ところが読んでいくと「この俳優は人に会う時」みたいな記述があり、はてなと思っていると、当時まだ中村梅枝だった時蔵のところで「人に会う時の気持ちが一定していない」と書いてあって、ははあこれは記者とか贔屓とかに会う時のことで、そんなことは藝とは関係ないし、普通の観客とは何の関係もないわけだが、歌舞伎俳優というのは記者とか贔屓に愛想を振りまいて生きていないとこういうことを書かれるという世界なんだな、と理解したわけである。今もそうだかどうだかは知らないが少しはそういうところも残っている。

「分断が進む」って何だ

葉真中顕の、ブラジルの「勝ち組・負け組」抗争を描いた『灼熱』の帯の下のほうに「分断が進む現代に問う、傑作巨編」とある。勝ち組負け組抗争は、ブラジルの日本人コロニーにおける「分断」には違いなかろうが、現代における「分断」とは何ぞや。昨年あたりからこういう言い方が散見されるのだが、政治的に国民があっちとこっちに分かれることなら70年前だってそうだったし、むしろ戦争中のほうが分断したくてもできない状態だった。つまり普通のことなのに、なんで「分断が進む」とか言うのだ。

 アメリカ大統領選が終わったあとで、勝者つまり勝った側は、大統領選における「分断」を言い、これからは融和しようなどと言うが、これはまあ紋切り型のあいさつである。

 別に今特別に分断しているわけではないんじゃないか。帯はもちろん、著者の責任ではない。

小谷野敦