マルグリット・デュラスと小児性愛

マルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』がゴンクール賞をとり、日本でもベストセラーになったのは1985年のことで、ほどなく映画化もされヒットした。デュラスは私小説作家ではないが、自分が14歳のころインドシナでシナ人富豪にカネで買われていた経験を描いたものである。

 のちに私はマーゴ・フラゴソの『少女の私を愛したあなた』という告発文を読んで、これだとペドファイルで非難になるのに『ラマン』が文芸作品扱いされるのはどういうわけか、と書いたが、どうやら最近ではデュラスは自分を対象とする小児性愛を肯定したと批判されるようになったらしい。

 これというのも昨年、フランスの作家マツネフというのが、少女をセックスの対象にしていたのを批判されてからで、(「同意」 ヴァネッサ・スプリンゴラ 著, 内山奈緒美 訳. 中央公論新社, 2020.11)、当時フランスの知識人らが、少女との性愛はOKだという署名をしたとされ、ボーヴォワールフーコーも書いたとされ、のちフーコーは書いていなかったと訂正される騒ぎになってからである。

【毒家族】マルグリット・デュラス “小児性愛”を肯定した仏大作家と長男至上主義の母(ELLE DIGITAL) - Yahoo!ニュース

「しかしこの作品が世界的作品となったことには大きな問題があった。この関係性は明らかに少女買春であり、ペドファイルの物語。それを「愛だった」と結論付け、大っぴらに肯定してしまった。」

 佐伯順子さんは、90年代半ばから、デュラスの「愛人」と樋口一葉、特に「にごりえ」の比較というのを何度か書いている。別にデュラスが一葉を読んでいたわけではないし、こちらは私小説でもあり、そもそも「比較文学」というのはこういう関係ない作品をいきなり選び出して比較するものではない。「アメリカ派」などと言われてやる人も以前はいたが、今では異端である。

 はじめはちょっとした手すさびだったのだろうが、最新の『比較文学研究』106号にも「コンタクト・ゾーン」における女性の〈声〉: 「にごりえ」と『ラマン』が描くジェンダーの共鳴 」という「論文」を載せていて、まだやっているのかと呆れたものだが(なおこの雑誌は査読雑誌だが、これは依頼して載せた論文なので査読つきではない)、佐伯さんは、少女のデュラスが、男社会が作った性軌範から自由であるといった擁護の仕方をしていて、これは90年代に宮台真司が、援助交際少女を擁護したときに使ったのと同じ論法で、佐伯さんは時代が変わったことには気づいておらず、これでフェミニズムをやっているつもりなのだろう。25年も同じ題材を繰り返してボロボロになるまで使ったりしないでもっとほかのものも読んだらどうかね。

 しかし私はデュラスの「愛人」は面白くも何ともなかったし、デュラスの作品に感心したことがなく、通俗作家だろうと思っている。

小谷野敦