滝田文彦と花柳はるみ

90年の夏にバンクーバーへ行って外国人向けの英会話のセミナーに出たら東大三年生の佐野真由子がいた。真由子は帰国後、小谷野さんに会ったと滝田先生に話したら驚いていましたと手紙をよこしたので、私は返事で、滝田先生って滝田文彦?滝田佳子?と書いたら、滝田佳子先生です、文彦という方は存じ上げないですと書いてきた。滝田文彦は30年3月生まれだからその年の春には定年になっていた。私も滝田文彦は翻訳家として名前を知っていただけで、あとは卒業アルバムで若いころの俳優みたいな二枚目の写真を見ただけで現物は知らなかった。調べたら花柳はるみという女優と実業家の間の息子だったから、それで顔がよかったのか、まあ父親のほうも二枚目だったんだろう。前世紀のうちに死んでしまった。佐野真由子は大学院も行かなかったのに日文研准教授から今は京大教授になっている。「なしくずしの死」を滝田の訳で読んでいて気付いたことである。

昔の孤独

私には、テレビがない時代に人がどうやって夜を過ごしていたかは想像するしかない。都会なら近所の寄席へ出かけたりしただろうが田舎ではそれもないから、せいぜい近所で酒を飲むとか将棋を指すとかくらいしかない。

 同じように、2000年ころからあとに生まれた人は、私らの若いころ、一人暮らしをしているといかに孤独だったかが分からないかもしれない。メールもないしネットもないしツイッターもないのである。

 私が大阪で一人暮らしをしていたのは94年から99年の五年だけだが、最初の三年くらいはひどく孤独だった。大学の仕事を終えて帰ってくると、それから夜寝るまで誰とも話し相手がいないのである。たまに用事があれば人に電話できるが、用事がないと電話できない。メールは存在していたが私も周囲の人もやっていなかった。そのうち神経を病んで、夜中知り合いの編集者にファックスを送ったりしていた。本は出したが仕事の依頼が全然なかった。

 神経を病んでから、夜中に、どうしても耐えられなくなったらマンションを出たところにあるコンビニへ行けば人がいる、と考えたこともある。だからテレビドラマとか観ると、若くて結婚もしていない連中がしょっちゅう他人と一緒にいるんで、こんなことがそうそうあるか、と思ってしまう。

どっちもつまらん詭弁

 平川祐弘が、天皇制を批判する人に、「じゃあ日本が共和制になって小沢一郎が大統領になってもいいのか?」と言うと相手は黙る、などということを書いていた。右翼はだいたいこういう変なことを言うが、日本が共和制になっても大統領はいなくてもいいし、ドイツやイタリアのような象徴大統領になるのが普通で、伊吹文明でも大統領にしておけばいいだろう。

 ところが、共和制を支持する人の本を読んでいたら、アメリカ人が、日本は天皇制だからいいですね、と言う人がいたから、じゃあトランプの息子がトランプ二世になったらいいか?と言うと閉口する、と似たようなことを書いていた。ジョークとしても馬鹿馬鹿しい。それに先進国では立憲君主制だから君主は統治に口を出さないのだからそもそもばかばかしい。どっちもつまらんのである。

アメリー・ノトン  「殺人者の健康法」アマゾンレビュー

とても面白い
星5つ 、2021/10/31
戦後の海外小説は概して面白くないが、これは「ガープの世界」などとともに三本の指に入るくらいの面白さ。登場人物はほぼ二人だが、湾岸戦争を前にした91年、83歳のノーベル賞作家プレテクスタ・タシュが軟骨がんという特殊な病気で余命いくばくもないと知り記者が押しかけるが、一人目、二人目と、三島賞受賞時の蓮實重彦みたいな態度をとる作家に追い払われてしまう。作家はでっぷり太って醜い体形である。だが三人目の女の記者は、作家の66年前の犯罪と、その貴族の子孫としての来歴を明らかにしていく。作家の悪口雑言が筒井康隆を思わせる。これはアメリー・ノトン(ノートンは間違いらしい)の最初の作で、駐日ベルギー大使の娘で、天才であるらしい。女性記者の名前ニーナというのはチェーホフの「かもめ」から来ているのか。

友里千賀子への嫉妬

NHKの「朝の連続テレビ小説」を私が観るようになったのは、小学六年の時の、斎藤こずえの子役が話題になった「鳩子の海」からで、学校で昼食の時に担任の教師がテレビをつけて見せてくれたりした。

 翌年から半年一作が原則となり、大竹しのぶの「水色の時」から始まり、四月から九月までの上半期は東京、下半期は大阪での制作になった。私は「火の国へ」のテーマ音楽が好きだったが、中身は観ていない。

 高校一年になった1978年上半期が「おていちゃん」で、沢村貞子の随筆『私の浅草』がエッセイストクラブ賞を受け、友里千賀子が主役に抜擢されたのだが、今も続く、実在の人物の半生の朝ドラ化路線のはしりだった。

 私は沢村貞子という女優をそれまで知らなかったが、当時『グラフNHK』をとっていたからその様子を見て、妙な嫉妬心を、もっぱら友里千賀子に対して覚えたのだが、当時私は浦和高校に落ちて東京の海城高校へ行くようになっていたから、東京育ちの沢村貞子の『私の浅草』というあたりに何か反応したのかもしれない、とにかく不思議な嫉妬心だった。それも短期間で消えた。

 翌年の大河ドラマ草燃える」では友里千賀子は静御前をやっていたがまん丸な顔がちっとも静御前には見えなかった。

坂さんはどこへ

 私は大学一年の秋から一年半ほど、綾瀬にある城東学院という塾でアルバイトをしていた。東大生が教えるという触れ込みだったが、先輩に坂さんという理系の東大生がいて、北海道の出身で、高校時代校舎の二階から雪の山の上へ飛び降りたなどというバンカラ話をしていた。

 打ち上げの席で、私が文学をやっていると言うと「小谷野さん、いいですよねドストエフスキー、雑誌やりましょう」などと言っていた。

 だが坂さんの本当の関心は写真にあり、大学卒業後写真学校へ通っていたようだが、その後どうなったのやら。

www.itojuku.co.jp 弁護士になっていたようです。

小谷野敦

「浮名ざんげ」騒動

新聞検索をしていたら、1950年2月24日の「読売」に、北條誠が『小説新潮』二月号に載せた小説「浮名ざんげ」が、伊藤和夫(53)という人が昭和3-4年に『日活画報』に連載し、のち映画化された「浮名ざんげ」と同一題名、内容、主題歌も同じというので告訴するとある。

 映画のほうは、「日本映画データベース」で見ると、

1929.10.11 神田日活館/日本館
14巻 白黒


監督 ................  三枝源次郎
脚色 ................  山本嘉次郎
原作 ................  伊藤昭夫
撮影 ................  永塚一栄
 
配役    
三好光太郎(大学生) ................  神田俊一
田代幾太郎(三好の友) ................  南部章三
田代安子(田代の妹) ................  佐久間妙子
芝千代(歌沢師匠) ................  酒井米子
桜川半次幇間 ................  村田宏寿
娘お美津 ................  徳川良子
七蔵(仕事師の頭) ................  谷幹一
野村(安子の婚約者) ................  犬上辰朗

となっている。伊藤昭夫とあるがこれは誤りか。さてそこで北条の小説と『日活画報』の一部を取り寄せてみたが、どうもまったく違うものである。北条のほうは戦後のある会社で、前の社長だった河田が落ちぶれて捨扶持をもらっていて、総会のあとで落語をやるというところへ、河田の愛人だった千代という、今の社長の愛人になっている女がやってきているのを、昔を知る社員が見て義憤に駆られるが、河田は意に介せず「心眼」を演じるという話。映画になったほうは、若者二人に妹と歌沢師匠の芝千代がからむ話である。

 続報がないところを見ると、伊藤なる人が、戦後落ちぶれていたところへ新進作家が同名の小説を発表したのでカッとなったというところか。 

 なお昭和11年(1936)に小唄勝太郎の「浮名ざんげ」という流行歌も出ているらしい。

小谷野敦