際もの小説の今昔

 久米正雄は、関東大震災のあと、「震災小説」を書こうとして、途中でやめにしたのを「際物」と題して『随筆』の創刊号に載せている。まあここで大地震が起きてそれから事件になる、といったところだ、という終わり方で、筒井康隆が「稲荷の紋三郎」でやった終わり方である。「際物」というのは、そういう風に軽蔑的な意味で使われた。

 第二次大戦となると、国民全部が巻き込まれたものだから、戦争小説を書くのは「際物」ではなかった。際物小説をたくさん書いたのは三島由紀夫で、光クラブ事件で『青の時代』、殺人事件で『愛の渇き』、放火事件で『金閣寺』、労働争議で『絹と明察』、都知事選で『宴のあと』という具合で、これでは事件があると小説を書く作家と思われてしまうと手紙で自嘲している。

 谷崎潤一郎は、戦時中に『細雪』の連載を始めた時は、戦時体制に貢献するところがないというので差し止められたが、戦後最後の部分を連載しようとしたら、今度は、戦後の民主平和日本の建設に貢献しないというので『中央公論』ではなく『婦人公論』に連載させられた。

 しかし2011年の東北地震のあとは、あちこちで、震災小説を書けーかけーという声がやかましく、こういうことは阪神地震の時にもなかった、新現象である。それだけ、文学の自立性を信じる人がいなくなり、文学が社会のはしためだと思われるようになったということだ。

駒井稔ほか「文学こそ最高の教養である」アマゾンレビュー

三点

題名からして胡散臭いし、古典新訳文庫の宣伝だろうと思ったが、思ったよりはいい本だった。編集者の駒井が、聴衆のいる場で翻訳家から話を聴くというシリーズ。中条省平が、ロブ=グリエの「嫉妬」は退屈なので二度と読みたくないとか、ロブ=グリエ夫人の変さとかの話は面白い。だが高遠弘美の話にはたまげた。プルーストの話をしているのに、同性愛者だったという話も、だから小説中のアルベルチーヌは実は男で、アルベルチーヌのレズ行為は実は異性愛だったのだという話をまったくしない。高遠が、そういう伝記的事実を無視するという意向らしいが、これはひどいプルーストの伝記を四つも紹介しているのに、岩波から出たエドマンド・ホワイトのを無視しているのは、これが同性愛に堂々と触れているからか。こうなると高遠が同性愛者差別者なんではないかと思ってしまう。あとナボコフのところで、貝澤哉が「川端康成もそういう少女(愛好)趣味の小説を書いていますし」と言っているが、「伊豆の踊子」のことか? トーマス・マンのところも、「ヴェニスに死す」みたいな有名な作品を知られざる作のように語っているのは何かモヤるし、「欺かれた女」も嫌な小説だと思う。あとメルヴィルに関しては、その女性嫌悪に触れなければ「モービィ・ディック」を語ったことにならないんじゃないか。またショーペンハウアーのところで、63歳で書いたというのは今で言えば80代、90代で書いたようなものだとあるが、平安時代にも80代90代まで生きる人はいたのでちょっと大げさである。それを逆にすれば、平川祐弘の、80代の天皇は今では60代と同じだからまだ働けるという暴論になる。

小杉健治「絆」アマゾンレビュー

2015年2月13日に日本でレビュー済み

 
「泣ける本を教えて下さい」とか言うやつがいるのを見て、そういう本の探し方をするんじゃねえと思ったが、これは泣く。下町で育って美貌ゆえに玉の輿に乗った女性は、夫殺しの罪で起訴された。語り手の記者は、幼い頃同じ町内に住んでいたから、あの女性が殺人を犯したとは信じられず法廷に臨む。本来の弁護士に代わって立った原島弁護士は、彼女の過去を容赦なく暴いていく。推理作家協会賞受賞作。直木賞では、文章が荒いとかで落とされたが、こういう作品に直木賞をとってほしいんだよなあ。

レンジェル「颱風」のこと

7月に出したレンジェル・メニヘールトの「颱風」という戯曲の翻訳について。1907年にハンガリー出身の作者が書いたものだが、ハンガリー人なのでレンジェルが姓である。原作では舞台はベルリンだが、ドイツ語版ではパリになり、フランス語版ではベルリン、英語版ではパリにされている。

 トケラモ・ニトベという日本人とその仲間の吉川とかヤモシとか奇妙な名前の一団がいて、日露戦争後、意気あがる日本によるヨーロッパ征服の野望のため研究をしている。トケラモにはエレーズという愛人がいるが、口争いの末に殺してしまい、日本人らはトケラモをかばうため別の日本人の犯行に見せかけようとし、それは成功する。

 ところがこのあとが、原典やドイツ語版と、ヘンリー・アーヴィングの息子のローレンス・アーヴィングが訳した英語版では違っている。原典ではトケラモは病死してしまうが、英語版では、かねて日本を敵視するような発言をしていたベインスキーから、あたかもパリ祭の七月十四日に、これはバスティーユを打ち壊した記念であり、我々の愛国心バスティーユなのだ、と愛国心の危険さを訴え、トケラモはそれを理解し、切腹して果てるのである。これはアーヴィングがつけ足した部分である。ロンドンで森律子が観たのも、その後帝劇で上演されたのも、このアーヴィング版なのである。

 平川祐弘は『和魂洋才の系譜』に収められた論文でこの「颱風」を論じているが、平川はドイツ語版で読んだらしく、英語版は見ていなかった。ためにこの劇を、日本人を敵視する「黄禍論」の芝居だと否定的に評している。帝劇での主演は『帝劇の五十年』では澤村宗十郎となっているが、宗之助の誤りであることを、平川は当時の『演芸画報』で確認している。だが、帝劇で演じられたのは、愛国心の危険性を説く英語版であることに、平川は気づかなかったのである。

小谷野敦

誰が見ていた?

大塚ひかりさんの新刊「くそじじいとくそばばあの日本史」(ポプラ新書)は、日本史上の、歴史や文学から、長生きした人の逸話を集めたものだが、中に、柴田勝家が北ノ庄で滅んだ時にその様子を伝えた老婆というのが出てくる。元は小和田哲男が書いていたらしいが、勝家が、立派な最期の様子を伝えるために老婆を語り部として外に出したということが、イエズス会士の手紙にあるという。

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 実際、それは誰が見ていたんだということは時おりあるが、映画などで、一人ぼっちになってしまい原野をさまよう人とかがいて、しかし映像があるんだから撮影している人がいるのに、観ている人は特に

それを意識せずに観ている。あれは不思議だ。

駒場の昔

青柳晃一先生が死去した。東大駒場の英語の教授で、教わったことはないが、私が院生の時に学部長をやっていて、業績は見たことがないので、まあ調整役の能力があったのだろう。

 のち2007年に芳賀先生の講演会があったあとのパーティでちょっと話し、それからメールもするようになった。中山茂について、中山が書いた文書を大森荘蔵は持っていたが出さなかったとか、中山の著書で誰も批判していないのは良かったとか言っていた。しかし改めて調べても業績はない人であった。

 1987年に駒場の事務でいじめ事件があったらしく、西部さんからその話を聞いていて、そのあと青柳先生だったか、事務室で真剣に誰かの話を聞いていたのはその関係だろうかと思ったことがある。

マルク・レザンジェ「ラカン現象」アマゾンレビュー

2019年4月30日に日本でレビュー済み

 
ジャック・ラカンが、わけの分からないことを言っているにもかかわらず「信者」を生んだのはなぜか、「測り知れざるものへの熱狂」だというラカン批判である。前半は面白いが著者はフロイト主義で、後半はフロイトによるラカンの生涯の分析になる。
 なお訳者の中山道規先生は下北沢クリニックで長く私の主治医だったのだが、四年ほど前に病気ということでいなくなり、今も消息不明である。