http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090813bk09.htm
「夕食の空揚げを揚げていて受賞連絡を受けた。「もう頭が真っ白……」。」
栗原さんもそんなことを書いていたが、私には信じられない。最終候補に残って今日が選考だと聞いたら、私なら朝から何も手につかず、うろうろ。当然であろう。
桐野夏生は賞をとりすぎではないか。紫式部文学賞、女のための賞なのに、金井美恵子と中沢けいは不遇すぎる。
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『キネマ旬報』で「童貞放浪記」を評して「童貞喪失にこんな茶番はあり得ない。あったとしても…」と書いた原田雅昭(キネ旬元編集長)。実際にあったんだよ。(もっとも『東京大学物語』について、こんなことあるわけないと田嶋陽子に言われて江川達也は現実にあったんだと言っていたがそれは東大であったわけではあるまい)それにこんな光景は日常的にそちこちに転がっている。
あと一人、土屋好生とかいう奴が、映画にする意味が分からないとか、「こういう題材を正面から描けば陰鬱になるのは目に見えている」と書いているが、私はかつて島尾敏雄の『死の棘』を「爆笑できる」と書いたし、あれはユーモアが漂っている。ヴァンクーヴァ‐で上野千鶴子に会った時その話をして、山本健吉なんかは、救いがないなあと書いていますがと言ったら上野は「そりゃあ、あの世代の方には分からないわよ」と言った。
土屋とかいう奴、何者かと思ったら元読売の記者らしい。1948年生まれ(名大卒)の全共闘世代だ。こりゃあかん。完全にマッチョ男。土屋も原田も、北島萌が性悪女だと思っているらしい。いや土屋、仮にそうだとしても性悪女の魅力が分からないのかね。仏文科出てて。
『電車男』についてはこんな感じ。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/review/20050606et01.htm
それにしても、現代の男どもが、ここまで女性化しているとは……。特に恋愛に関して、奥手どころか幼児性丸出し。そのうえメソメソと、よく泣く。完全に、男女の立場が逆転している。これもパソコン時代の副産物(?)なのか。
実に類型的でバカ丸出しの評である。なるほどこいつにしてみれば、「女なんてえものは、バリケードの中で食事作ってセックスの相手してりゃあいいんだよ」的世界観だから理解不能なのであろう。顔からしてマッチョそのもの。
私の世界観は、全共闘世代の恋愛観とはまったく相いれないものである。そのことは、いずれ書こうと思いつつ、未だまとまっていない。あいつらの恋愛観は現実を直視しないものであって、女の現実というものを見たくないのである。
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こないだ『童貞放浪記』のトークショーのあと、下まで降りたら、二人の男が近づいてきて、原作者の方ですか、と言って、パンフレットと色紙にサインを求められた。片方は60近い感じ。「原作は読まれたんですか?」「いえ」。青ざめつつサインをして逃げるように立ち去った。
原作読まないで原作者にサインを求めるのはやめてくれ〜。
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http://nozawahisashi.blog.so-net.ne.jp/
五年も前に自殺した人のブログかよこえ〜。しかもコメントに「野沢」って名前で答えているのは奥さんらしいが、けっこう生きていると思っている人もいるのでは。しかも古尾谷雅人ってこれも自殺しているぞ。なんか紛らわしいからはっきり「本人は死んでます」と書いてほしい気がする。
(小谷野敦)