「異人たちとの夏」の私小説性

 

 

 

 

映画「異人たちとの夏」を久しぶりに観たがやはり面白かった。これはカナダから帰国した92年ころにビデオで観て、それから山田太一の原作も読んだはずだ。これが映画になっているのを知ったのは、『ぴあ ピープルズファイル』という、当時活躍中の文化人のカタログで、特殊メイクの原口智生がとりあげられており、そこに幽霊のような顔の女の写真がついて「映画「異人たちとの夏」でも原口の技術が・・・」とか書いてあったからなのだが、映画にはその幽霊女が出てこなかったから、おかしいなと思ったもので、別の映画のものだろう。

 「異人たちとの夏」は1987年の山田太一の小説で第一回山本周五郎賞受賞作だが、山田は当時53歳で、シナリオとしての代表作「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などはそれ以前のもので、このあとはさしたる作はなしていない。

 「異人たち」の主役は40歳になるテレビのシナリオ作家で、浅草出身、12歳で両親を亡くしたが、浅草をふらりと訪れて両親の亡霊に出会うという話で、「牡丹灯籠」を下敷きにしたマンションの女の亡霊も出て来る。

 山田太一も浅草出身で、両親を亡くしたとは思えないが、顔もいいし、女にももてたろうし、浮気や不倫もあったろうし、女が自殺未遂するくらいのことはあったろうと考えると、この幽霊話も割と私小説風味が強いんじゃないかと思った。映画では永島敏行が演じていた後輩のシナリオ作家が、この映画のシナリオを書いた市川森一なんじゃないかという気さえする。

 その市川も、監督の大林宣彦も鬼籍に入った。私はどういうわけか大林宣彦が撮ると幽霊話でも認めてしまう。