音楽には物語がある(60)音楽の時間と「楽典」 「中央公論」12月号

 あとになって考えてみると、小学校ではクラスの全科目を担任が一人で教えていたので、これは大変なことである。三年生くらいまでならいいが、六年生で全科目教えるとか、神業かいい加減だったかのどっちかである。しかし、小学校教師の中でも教材などを執筆している人には、一応専門があるらしい。

 国語・算数・理科・社会はともかく、体育・音楽・図画工作・家庭科まで教えるのはすごい。私は、四年から六年まで担任は男だったが、彼らが音楽を教えていたかどうか、思い出せないくらいなのだが、教えていたのだろう。

 私は高校に至るまで音楽の時間というのが好きだったが、それは歌を歌ったり、クラシック音楽を聴かせてもらったりというのが好きだったので、シューベルト「魔王」なんか、記憶に残っているという人も多いだろう。

 だが、別にそれで音楽の成績が良かったわけではないのだが、だいたい音楽の成績というのはどうやってつけていたのだろう。四年生からはリコーダーを買わされてそれを吹いていたし、試験もあったような気もするが、もしかすると授業中の態度とかそういうことで成績がついていたのかもしれず、だとすると私はADHDを疑われるくらい落ち着きのない子供だったから、それで下がったのかもしれない。

 あとになって、ハッと気付いたのは、生徒のうち女子には、ピアノを習っている子が半分くらいはいるだろう、そして音楽の授業は彼女らにはわれわれとは違う感じで受け止められているのではないかということだった。これは中学生になってからだが、先生がピアノでジャン、と和音を弾いて、これが三度の和音、とか五度の和音、とか覚えさせるのが、いくらか教育らしい部分だったのだが、私にはそもそもこの「和音」というのが何であるのか分からなかった。

 私が高校三年の時、市内で引っ越したのを機に、母がアップライトピアノを買ってピアノを習い始めた。私は子供のころからピアノを習いたい気持ちもちょっとはあったが、家にピアノもなかったしムリだったのが、大学へ入ってから母から紹介された市内の老婦人の先生についてピアノを習い始め、『楽典』というのを買ってきて読み始めたら、今までぼんやりとしか分かっていなかったことが分かって目からウロコが落ちるような思いがした。

 たとえば、和音というのは、複数の音を合わせると調和してきれいな音になることを言う。きれいにならないのは不協和音という、といったことが書いてある。当たり前じゃないか、とたいていの人は思うだろうが、私もうっすらとそうは思っていたのだが、こういう風にはっきり文字で書かれたのを読んだことがなかったのだ。私は文字型人間なので、文字で示してもらわないと頭がハッキリしないのである。カナダへ留学した時、英文で書かれたアール・マイナーとロバート・ブラウアーの『ジャパニーズ・コート・ポエトリー』(日本の宮廷和歌)というのを読んだら、日本人相手には自明のことだから書いてないようなことまで書いてあってずいぶん目からウロコだったが、それに似ている。驚くべきことだが、『楽典』で、四拍子というのは四つの音のうち最初を強く響かせる音楽だというのを読んだ時も、ああそうだったのか、と思ったくらいである。しかし考えてみれば、なんで小学校五年くらいで『楽典』を副読本にしてちゃんと音楽教育をやらなかったのかと、やや怒りすら覚えたものであった。

 そういえば、最相葉月の『絶対音感』という本(1998年)が売れた時、あれは子供にピアノを習わせている母親が、子供に絶対音感を身に付けさせたいと思って買ったからだと言う人がいたが、なるほどこういうのは侮れない。