新資料で書くこと

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 秦恒平の「神と玩具の間」は、谷崎潤一郎に捨てられた二人目の夫人・丁未子の書簡を入手して書かれたものだ。河野多恵子の「谷崎文学と肯定の欲望」も、新資料を入手して書かれていた。

  博士論文を書く時に、新資料の入手が必要だという考え方が以前はあった。だが、そんなことを言っていたら、一握りの人しか博士論文は書けなくなってしまうので、今では新資料はなくても解釈が新しければいいということになっている。

 新資料以外に、取材という手法もある。しかしこれも、その人が有名人でそれまでにいろいろ話していたこととさして変わらない内容しか入手できないこともある。誰しも、新資料や新情報で本や論文を書きたいと思うが、そうはいかない。

 中には、自分の父親の日記を材料にして本を書いた人もいるが、私はこれまで、何か新しい資料を得てものを書いたということがない。そういうのを入手するには、人脈とかカネが要るのだろう。