音楽には物語がある(59)ミスター・シンセサイザー 「中央公論」11月号

 タモリと子供たちが歌った「ミスター・シンセサイザー」という歌は、1980年に「みんなのうた」で放送された。当時、新しい楽器として注目されていたシンセサイザーを顕揚する児童歌で、「ハナモゲラ語」などで知られ、表舞台へ進出してきたタモリが、歌の途中で即興で意味不明な言葉を叫ぶという趣向もあった。タモリのことは、NHKはこの当時から好きで、バラエティ番組「テレビファソラシド」に起用したり、単発ドラマの主演に使ったりしていた。あとから考えると、謎の言葉は大橋巨泉、偽外国語は藤村有弘の二番煎じなのだが、新世代のインテリお笑い芸人というところか。以後今日までNHKはタモリを重用し続けている。まあ私も、ビートたけしに比べると、タモリのほうが常識人で、面白いと思っていた。

 さてシンセサイザーは、私は中学生のころに知って、面白そうだと興味を抱いたのだが、最初に「シンセサイザー音楽」に触れたのは、高校一年だった1978年のNHKの時代劇「早筆右三郎」という、江守徹が主演するドラマの主題曲を、深町純が作曲したものでだった。テンポの早い、私としては好きになりそうな曲ではあったが、何しろ音がずっとあの電子音だから、味わいはない。深町純は、当時シンセサイザー音楽の新進として知られていた。

 これはあとになって聴いたのだが、シンセサイザー音楽が広まったのは、冨田勲の「展覧会の絵」(1975)と「惑星」(1976)だったらしい。クラシック派だった私は、これらの原曲は好きだったが、それを電子音に直しただけみたいな冨田の曲には一向に感心しなかった。むろん、「新日本紀行」その他、冨田の独自の音楽は評価していた。

 それから、NHKで放送された「シルクロード」の喜多郎の音楽というのが一世を風靡したのだが、前に書いたとおり私はこの曲が嫌いだった。また当時YMOが登場して若者の支持を集めており、私の高校時代にも、高橋幸宏を尊敬しているなどと言っていた中学時代の友人がいたし、大学へ入っても、YMOと聴くと目の色を変える級友がいたが、私はさほどとも思わなかった。私が大学1年の年、NHKで川本喜八郎の人形劇「三国志」が始まり、土曜の夕方にわりあい観てはいて、その主題曲が細野晴臣だった。だが私は人形なら辻村寿三郎が好きだったし、「三国志」より「水滸伝」が好きだし、それほど熱心に観てはいなかった。細野がエンディングで歌詞もつけた「愛のテーマ」は、ちょっといいような気もしたが、日本語がやや変だと思った。だが84年に映画「風の谷のナウシカ」が作られると、細野が作曲して安田成美が歌った主題歌がひどい出来で、テレビCMでは流れていたが、実際に映画館へ観に行ったら宮崎駿が外したそうで使われておらず、休憩時間に劇場内で流れているだけだったし、久石譲の曲があまりにすばらしく、私にとって細野晴臣はそれで終わってしまった人になってしまった。もっとも当時私は戸川純が好きで、その「玉姫様」は細野の作曲だったのであるが。

 当時は「ニューアカ」ブームで、柄谷行人らの座談会に坂本龍一が加わって、父の編集者・坂本一亀の話をしたりしていた。「若者文化」を代表するみたいな感じが、そこにはあった。私はゲームセンターに入り浸っていたからゲーム音楽によって電子音楽に触れ、それを集めたLPも買ったが、すぎやまこういちが「交響組曲ドラゴンクエスト」を演奏すると、やっぱりオーケストラはいいな、と思うのだった。

 シンセサイザーはその後、多くの楽器の一つとして多様な展開を見せているが、当時はそんな感じだった。