将棋とチェス

囲碁や将棋の世界で、男女差が歴然としているのはよく知られている。1996年のNHKの朝の連続テレビ小説ふたりっ子」では、初の女流プロを目指す女子を岩崎ひろみが演じていたが、それから27年たって、やっぱり女流プロというのはいないのである。

 男女で肉体的な差異はあっても頭脳の能力に差異はないと思いたい人もいるだろうが、このように現実にはあるのであって、逆に文学的才能は女性のほうがある。日本の徳川時代は、250年近くにわたって女の文学的才能を抑圧してきた暗黒時代だが、このあと300年もたつと、文学者は女ばかりになるかもしれない。

 国際チェス連盟が、トランス女性の参加を禁止したというのも、トランス女性というのは中身は男だからで、日本でトランス女性が将棋に進出して「初の女流プロ」とかになっても、中身は男だからフェイクでしかないだろう。

 『文藝家協会ニュース』の11月号に寄稿した李琴峰は「平均的に見れば、生得的な男性と女性には体力の差があるので、自転車や水泳競技で線引きの必要性があるのは理解できる。しかし、知的競技であるチェスまで?/チェスの能力に先天的な性差があると認めたら、将棋、囲碁だって同じ理屈が通じる。文藝だって他人事ではない」などと書いているが、文学は女性優位なのである。生物学的な差異が歴然としてあることを認めるべきだろう。だいたい、将棋やチェスは、やらなければ命に関わる問題ではないのである。

小谷野敦