開高健と池田健太郎の愛人・佐々木千世

 私は開高健という作家に興味がないが、松浦寿輝はある程度関心があるらしい。「輝ける闇」「夏の闇」「花終る闇」というのが開高の「闇」三部作で、長い間かけて書いたものだが、「輝ける闇」はベトナム戦争のルポで、これは私が概して戦争ルポが苦手なので途中でやめ、「夏の闇」は、「エーゲ海に捧ぐ」みたいな、ベッドの上で女といちゃつきながら会話しているというもので、これも苦手なので途中でやめにしていたが、司馬遼太郎が『十六の話』で開高の追悼文を書いていて、この『夏の闇』を絶賛しているので、あれ先のほうへ行くと違うのかなと改めて図書館で借りてきたが、やっぱり<女への視線>が旧世代的で耐えられずすぐ挫折した。

 ところでこの女のモデルが佐々木千世(1932-70)というロシヤ文学者のタマゴだったらしい。早稲田のロシヤ文学科を出て、池田健太郎の弟子兼愛人になり、池田が編纂した『チェーホフの思い出』(中央公論社、1960)で、コロレンコ、アヴィーロワ、ブーニン、マリヤ・チェーホフ、オリガ・クニッペルの分を訳している。ほかは半分くらいが山本香男里、一編だけ柳富子だから、これはほとんど佐々木千世と山本香男里が訳している。池田自身が一つも訳していないのはちょっと驚きである。

 池田健太郎と山本香男里は東大比較文学の大学院出身で、山本はのち川端康成の養女と結婚して川端香男里(1933-2021)となり、東大ロシヤ文学科教授を務めた。池田健太郎(1930-80)は本名は豊で、健太郎はおそらく筆名である。神西清に師事して東大駒場のロシヤ語講師をしていて、学園紛争で辞めたというが、そのあたりはやや曖昧である。50歳で死んだ割には賞に恵まれ、『プーシキン伝』で読売文学賞、『「かもめ」評釈』で芸術選奨新人賞をとっている。開高は1930年生まれだから池田と同年で、どこで関係がついたのか知らないが、池田の愛人であった佐々木千世を「とって」しまったらしい。関係がついたのは1954年くらいかと、菊谷匡祐『開高健のいる風景』に書いてある。佐々木はその後ソ連を中心にユーラシア大陸を漫遊して『ようこそ!ヤポンカ』(婦人画報社、1962)という漫遊記を出し、これの中身は国会図書館デジタルで見られるが、帯だかに開高の推薦文がついていたらしい。70年に38歳で交通事故のため死に、それで開高は安心して『夏の闇』(1972)を書いたようだ。

小谷野敦