かつて私の本の刊行を卑劣なやり方で妨害し、裁判においてもその理由を遂に明らかにしなかったのが、集英社インターナショナルの佐藤眞である。1960年福岡県生まれ、東大文学部国語学科卒、祥伝社、クレスト社をへて集英社インターナショナル、2020年に定年。当時から私は、佐藤が佐藤優と親しく、佐藤優を敵視する私を排除しようとしたのだろうと目をつけて裁判でも主張したことがあったが、それには当然答えず、私は実際に原稿を書いていないという理由で敗訴した。
その佐藤眞が定年後に著書を出していた。『薩摩という「ならず者」がいた』(ケイアンドケイプレス)という歴史読み物で、幕末の薩摩が贋金づくりで資金を作っていたという話だが、あとがきを見ると、佐藤は『月刊日本』という右翼雑誌が主導する佐藤優の『太平記』読書会に参加していたと書いてあり、本文の最初のほうでは、谷沢永一と渡部昇一という右翼論客を尊敬していることが何のためらいもなく記されており、ああやっぱりそういうやつだったかと思った。私は別に思想が右翼だからといって人を排撃したりはしないのだが、卑怯なやり方をする連中が左右問わず多く、佐藤眞もその一人であることがよーく分かった。佐藤の親玉には元プレイボーイ編集長の島地勝彦がいるが、この本の推薦文は三人が書いていて、島地と知らない人のほかに井上章一さんもいたから、これはちょっと井上さんについても考え直さないといけないなと思ったことであった。
(小谷野敦)