集英社インターナショナル相手の訴訟だがなかなかひどいことになっている。そもそも企画は「知のトレッキング叢書」の一つとして始まったのだが、四月十八日に弥生という店で鬼木真人、田中伊織、福田香代子と会食した際に、おそらく鬼木と福田から、叢書ではなく一般の単行本として出ることになった、と私は告げられている。ところが被告は、それが決まったのはそれ以後だと言うのである。だが、それ以後の被告側と私のやりとりについては、双方争いはあまりなく、メールや、決裂後に鬼木がよこした内容証明でほぼ証明されているのだが、そのどれを見ても、それ以後、私に通告したという形跡はない。一体今後、どうやって私に伝えたと強弁するつもりなのだろうか。
さらに被告側は、最初の企画はいったん没になったと強弁するのだが、そんなことは私は伝えられていないのである。したがって被告は、準備書面の文面から推すに(推すしかないのだが)、言っていないことを私が察するべきだったと言っているらしいのである。
次に、最後に佐藤眞と会って決裂した会話を被告側が今回再現してきたのだが、佐藤は私に『聖女たちのアメリカ』のような文学論を書いてほしいと言ったとある。私はそんな本、書いたことがない。おそらくは『聖母のいない国』のことだろうが、佐藤が話したことを弁護士が書いたのだとしたら、佐藤はそもそも『聖母のいない国』などまったく読んでいない。だいたい佐藤の目的は、当初から企画を潰すことにあったのだから、読むはずがない。さらに弁護士も、確認すらしなかったということになるから、間抜けも甚だしい。相手方弁護士は「骨董通り法律事務所」の桑野雄一郎だが、こういうのは著作権的にはどうなんですかねえ福井健策先生、と訊きたくなる。
さらに、私はその時、じゃあ小説を出してくれませんかと戯れに言ったのだが、書面ではわざわざ、佐藤は「悲望」のような小説を優れていると思うが現在小説の出せる体制ではない、と言ったことになっているが、これも嘘である。佐藤は私の小説など読んだこともないはずで、「悲望」などという固有名はまったく出ていない。
さらに、この会談では、私が一貫して「ボク」と言っていることになっているが、私が自分のことを「ボク」などと言わないことは、私を知る人ならよく知っていることで、佐藤は要するに私のことなど何も知らなかった、ということを暴露したのである。
(小谷野敦)