私は高校一年の時、古文を小山先生というおじいさん先生に教わった。総白髪だったが、翌年からは姿を見なくなったので、あれで定年になったのかもしれない。それにしては元気な先生で、当時NHKで放送していた「日本巌窟王」などを観ていたようだ。
この先生から、私は『日本人とユダヤ人』の話を聞き、その著者は山本七平ではないかという話を聞いた。それから、恩田木工の『日暮硯』の話も聞いたのだが、先生は「おんだもっこう」と発音していたが、あれは「もく」である。古文の先生としてはちょっと頼りない。しかも、これは岩波文庫に入ってはいるが、有名になったのは『日本人とユダヤ人』で称賛されてからなので、これも古文の先生としてはちょっと頼りない。なお、これは今では恩田木工のことを後世の家臣が書いたものということになっているようだ。
(小谷野敦)